2015年12月28日

12月27日2015年の週報に掲載

 2015年も、皆さんと一緒に主を礼拝し、主に仕えることが出来ましたことを、心から感謝いたします。

 今年は、2か月間のサバティカル休暇をいただき、また皆様から、心暖まるウエルカムバックのパーティまでして頂いたことは忘れることはないでしょう。

 今年一年も、皆様の愛と寛容によって支えられ、励まされてここまで来ることが出来ました。素晴らしい教会に遣わされ、また素晴らしい兄弟姉妹に支えられていることを、心から感謝いたします。

 この1年間の中で、自分の人生に影響を与えた出来事や出会いを振り返ってみましょう。横線を一本引いて、人生にプラスになったことは上に、マイナスになったと思えることは下に書いてみてください。例えば、仕事が見つかった、これはプラス。車で事故にあった、これはマイナス。

 そして、改めて、マイナスの出来事を見てください。今振り返ってみて、それはそのままマイナスに留まっているか、それともプラスに移動したか、どうでしょうか? 「すべてのことが共に働いて益となる」(ローマ8:20)の約束の通り、益とされたでしょうか。年の終わりに、すべてが神への感謝に変えられたら素晴らしいですね。

関真士牧師

2015年12月18日

12月20日2015年の週報に掲載

 救い主イエス・キリストのご降誕を心から歓びます。

 「救いはあるのか?」 どこにあるのか? どうすればいいのか? 人々の魂の叫びです。

 イエス・キリストは「救い主」です。私たちを罪と死から救い出してくださいます。

 現代は、答えが一つではない時代です。あれも、これも、という時代です。多様化、多元化が、時代のキーワードです。すべてが相対化され、絶対という言葉が成立しない時代です。

 しかし「救い」は、真理であり、絶対でなければ、救いとはなりません。最も救いが求められている中にあって、救いが遠く遠く離れて行くのです。 そんな時代にあって、私たちに託されている神のメッセージは、闇の中に輝きを増す光のように、その輝きを放つのです。

 「十字架で死なれ、復活されたイエスは、救い主である」このメッセージを、私たちは声高らかに告げ知らせるのです。

 このクリスマスの時、全世界に、このキリストの福音が満ち溢れますように。キリストの愛と赦し、平和が与えられますように、心から祈ります。  

関真士牧師

2015年12月14日

12月13日2015年の週報に掲載

 ハワイ時間12月7日は、真珠湾攻撃のあった日です。皆さんは、淵田美津雄大佐をご存知でしょうか? 攻撃隊長であり、一番機で突入し、有名は「トラトラトラ(我、奇襲に成功せり)」という暗号を打電した歴史的人物です。彼は一躍ヒーローになりました。ミッドウェイ海戦にも参加し、九死に一生を得て戦後を迎えます。

 しかし敗戦国のヒーローは、すなわち戦争犯罪人として裁かれることになります。彼も東京裁判の被告の席に立つことになりました。彼の心は、アメリカに対する憎悪で満ちていました。

 ある日のこと、渋谷の焼け野原を歩いている時、一人のアメリカ人の配っているキリスト教の読み物を手にしました。そして聖書を読み始め、「父よ、彼をお赦しください」というイエス様の言葉に出会い、彼は回心するのです。やがて牧師になり、日本中、世界中を、キリストの愛を伝えるために巡回したのです。彼はハワイにも来て、キリストの愛を語ったのです。

 れいの父が青年の時、岡山まで伝道に来た淵田先生の運転手兼カバン持ちをしたことがあるそうです。

ここから始まった世界大戦、しかし、今度は、ここからキリストの愛が世界中に拡がっていきますように祈ります。

関真士牧師

2015年12月4日

12月6日2015年の週報に掲載

 今日は、待降節(アドベント)2週目です。24日には、恒例のキャンドルライトサービスが持たれます。6PM開場、6:30PM開演です。どうぞご家族、ご友人を誘ってご参加ください。今年のテーマは「愛の贈り物」です。

 次週のサンデースクールは、合同クラスになります。「礼拝」をテーマに、新しい礼拝プログラムについて説明をいたします。どうぞご参加ください。

 そして次週の13日(日)は、「心に光を」クリスマスコンサートです。チケットを$10で頒布中です。ウィルソン美代子さんが頒布を担当されています。どうぞ、お集まりください。

 キリストの愛の「広さ、長さ、高さ、広さ」をテーマに語っています。今朝は「長さ」です。来週はホノルルマラソンがありますが、42.195キロのフルマラソンです。とても長いです。キリストの愛は、どれくらい長いのでしょうか? その長さを私たちは、どのように表現しましょう。

 キリストの愛の長さは、永遠であり、それは「変わらない」ことを意味しています。どの時点においても、変わらない。どんな状況になっても、変わらない。それは、まさにキリストの忍耐でもあります。キリストの愛の長さを体感したいものです。

関真士牧師

2015年11月27日

11月29日2015年の週報に掲載

 今日から、アドベントに入ります。アドベントとは、ラテン語で「到来」を意味する言葉です。日本語では待降節と呼ばれます。今日から12月25日のクリスマスまで、救い主の到来を待ち望む期間となります。

 今年もキャンドルライトサービスが持たれます。24日(木)6PM開場、6:30PM開演です。どうぞご家族、ご友人を誘ってご参加ください。

 今年のテーマは「愛の贈り物」です。世界で初めてのクリスマスプレゼントは何でしょうか? 神が私たち人類にくださった贈り物、それはイエス・キリストご自身です。

 今日から4回に亘って、神の愛の、広さ、長さ、高さ、深さをテーマにメッセージを語っていく予定です。イエスの誕生に示された神の愛を心一杯に受け取りましょう。

 テーマ聖句は、ヨハネ福音書3章16節です。聖書の中の聖書と呼ばれる箇所です。「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。」

 この御言葉を中心に、神の愛がどれだけ、広く、長く、高く、深いのか、その恵みに与りましょう。

関真士牧師

2015年11月20日

11月22日2015年の週報に掲載

 1620年12月26日、イギリスの清教徒たちが、信仰の自由を求めてメイフラワー号でアメリカのマサチューセッツ州プリマスに到着しました。上陸したのは102名(男78、女24)でしたが、そのうちの約半数が厳しい寒さと飢えのために命を落としました。

 生き残った人たちは、先住民であるネイティブ・アメリカン(インディアン)に狩猟や農耕を教わり、春、夏と一生懸命働き、その秋には、たくさんの収穫を得ることが出来ました。人々は教会に集い、収穫を喜び神に感謝の礼拝を捧げたのです。この感謝の礼拝が現在の感謝祭のルーツです。実際には、1789年、リンカーン大統領によって祝日と制定されて今に至っています。

 アメリカの原点は、まさに信仰の清さを求めて、命がけで海を渡った清教徒たちの信仰にあります。そして、ネイティブ・インディアンに助けられたという恵みと、そこから生まれた感謝の礼拝こそが、この国の始まりとなりました。

 しかし、やがて恵みと感謝を忘れてしまったのか、ネイティブ・インディアンの土地を奪うという悲劇の歴史もまた事実です。

 私たちは、この感謝祭の時、今一度、信仰の原点、感謝を神に捧げることの原点に立ち返り、あふれるばかりの感謝を神に捧げましょう。

関真士牧師

2015年11月18日

11月15日2015年の週報に掲載

 日本では紅葉真っ盛り、ハワイも貿易風の心地よい風に吹かれて、少し秋の感じがしてきました。

 「Upgrade Christian」というテーマでお話をしていますが、私たちは「成長」したいと願います。今日は「奉仕」がテーマです。クリスチャンは、まさに奉仕のプロです。私たちの生き方そのものが「仕える」という事だからです。なぜなら、仕えるということは、愛することと同じことだからです。愛することは、仕えることです。

 仕えるとは、相手の祝福のために自分を捧げることです。自分の時間、能力、心を捧げることです。まさに愛することです。

 しかし、この世の中は、真逆の価値観で動いています。成功の印とは、どれだけ多くの人が自分に仕えているかということです。偉い人というのは、召使に囲まれて、部下に囲まれ、自分の命令に従う者たちが多いということです。

 しかし神の国の価値観は、正反対です。真の成功者とは、どれだけ人に仕えることが出来たか、つまりどれだけ多くの人に祝福を与えることが出来たか、どれだけ愛することが出来たかということです。神の国は、この世の国よりも強いのです。ですから、神の国の価値観で生きていくと、この世にあっても成功するのです。教会は仕えることの訓練の場でもあります。

関牧師

2015年11月6日

11月8日2015年の週報に掲載

 濱住ファミリーが日本に帰国されます。3人の子供たち共に9日に出発します。

 濱住司門兄は、ホノルル教会日本語部の組織改革に際して、チャーチプランナーという立場で関わってくださいました。ご自身の企業コンサルタントとしてのスキルを活かして、教会の組織改革に多大な貢献をしてくださいました。その貢献に対して、教会から感謝を現し、記念品を贈呈させていただきます。これまでの尊いご奉仕に心から感謝いたします。

 日本での新しい生活も、住居、学校、お仕事、すべてのことに主の備えがあることを信じ、主の御言葉と御手にお委ねします。私たちは、笑って、濱住ファミリーを主の御手に託し、お見送りいたしましょう。

 とは言っても、寂しいものは寂しい、別れは辛いものです。これまで何人の方をお見送りしたでしょうか? 慣れるということはありません。一人一人との関わりが皆違うからです。

 そう、私たちは地上では皆旅人なのです。天の故郷目指して、それぞれが植えられた所で、根を張り、花を咲かせ、実を結んでいきましょう。 主にあって私たちは一つです。

ありがとう! 濱住ファミリー、行ってらっしゃい!

関牧師

2015年10月29日

11月1日2015年の週報に掲載

 本日の礼拝では、Dr. George Rhoadesがメッセージを語ってくださいます。Rhoades先生は、2年ほど前から英語部のメンターとして奉仕しておられます。ご自身も牧師であり、カウンセラーでもあります。先生のご奉仕の心から感謝します。

 私の方は、英語部の礼拝でメッセージを語ります。英語の発音の猛特訓をして「R」恐怖症になりそうです。

 聖書学院で学んでいる、角田さん、愛美さんからニュースレターが届いています。夏のキャンプの報告、GRCカンファランスの報告が載っています。是非、お読みください。

 その中で、「ブリッジビルダーズ」について言及されています。「ブリッジビルダーズ」とは、橋渡しをする人です。日本に帰国したクリスチャンの方々のためにフォローアップを考えた時、送り出す側と受け入れる側の両方に「ブリッジビルダーズ」が必要だということです。日本側には、すでに角田愛美さんが居てくださいますので、HCC側に誰か必要です。

 「ブリッジビルダーズ」が与えられますように、お祈りください。また、この働きのためにパッションが与えられたらお知らせください。

関真士牧師

2015年10月23日

10月25日2015年の週報に掲載

 今週末はハロウィンの日があります。まずハロウィンとキリスト教は、まったく関係ありません。ハロウィンは古代ケルトの祭りで、死者の霊が家族のもとに帰って来ると言われ、またその時期に悪霊も登場するので、それらの悪霊が悪さをしないようにというのが祭りの始まりらしいです。日本のお盆に似ている所があるようです。

 起源がそうだからか、現在のハロウィンの仮装は、悪魔的な物が多く、とても心豊かにするものではありません。凶悪な事件が頻発しています。そのような悪魔的な格好をすると、心まで悪い影響を受けます。ですから、教会としては、ハロウィンを好ましくないものと考えています。

 この時期に、ちょうどオールセイントイブというカトリック教会の祭があることから、教会では、ハロウィンとは言わないで、オールセイントイブと呼ぶお祭りをします。子供たちが、危険な目に合わないように守ることも一つの目的です。悪魔的ではない衣装で仮装し、屋台や、ゲームのブースが出て、まさにお祭りです。恒例のたこ焼き屋も出る予定です。

 是非、お友達を誘って遊びにきてください。また様々な奉仕者が必要とされています。興味のある方は、松田真理さんに声をかけてください。

関真士牧師

2015年10月16日

10月18日2015年の週報に掲載

 サバティカル休暇の後半が終わり、牧師の務めに復帰いたしました。皆様のお祈りとご理解を心から感謝いたします。4回の礼拝のメッセージ、証詞、また合同クラス、このコラム、どれも素晴らしく恵まれました。留守の間、教会が守られ、強められ、成長したことを信じて感謝します。

 身体は教会から離れていても、心が離れることはなかなかできません。一度思考をオフにすることの大切さは十分に分かっているのですが、心はそう単純にテレビのスイッチのようにはなりません。

 その中で、やはり学んだ事は、「教会は主のものである」ということです。教会はキリストの体であり、キリストはその頭であると聖書は言います。そして「あなたの信仰は、どこにあるのか?」と主から問われました。

 教会は主のもの、集う一人一人は、主のものであるということを「信じて」歩みたいと思います。

 日本の河口湖で開催された帰国者クリスチャンの集まりは、全国から450名が集まる大盛況でした。改めて海外にある日本人教会としての使命、課題を認識しました。いよいよホノルル教会がキリストの教会として、その光を輝かせ、前進してまいりましょう。

関真士牧師

2015年10月9日

10月11日2015年の週報に掲載

祈り

私達普通の人間が全知全能なる神様と会話が出来るなんてとても不可能だと思っていました。しかし、神様の霊によって書かれた聖書はそれが可能だといっています。私達が神様に心を向け、『父なる神様』あるいは『天のお父様』と呼びかけて祈る時、神様は私達に御顔を向けてくださり、『はい、__さん、あなたが話しかけるのを待ってたよ』と言って私達と会話をしてくださるというのです。 その会話の中で私達の希望や願い、感謝等を申し上げるんです。

つまり祈りです。

神様は全知全能ですから勿論私達が申し上げる前から全て御存知ですが、神様はあえて私達がその祈りをもって彼の前に出ることを望んでおられ、そして祈られた事柄には時に叶って最良の答えを下さいます。そこに信仰による素晴らしい親子関係、人格的お交わりが実現するのです。神様はそれを私達に望んでおられ待っておられます。

私の友人の雪さんはその交わりを実践されていました。彼女は何時も笑顔で誰にでも何にでも愛を持って接していました。そして何よりも祈りの人でした。彼女が病床に在る時、よく目を閉じていました。私は彼女が眠っているのかと思いながら声をかけると、彼女は言いました、『今、お交わりをしているから後にして』と。 そこが雪さんの愛の泉でした。

ウイルソン美代子

2015年10月2日

10月4日2015年の週報に掲載

 「祈っています」このシンプルな言葉の中に、何と深い思いがこめられていることでしょうか。「祝福、平安、助け、癒し、救い」がありますように、、。私達は祈りを通して、愛を伝え合います。なぜなら神様はその只中におられますから。

 祈りのうちに朝を迎え、祈りをもって一日を終える。そんな何気ない日々の恵み。そして、何事もまず祈ってからスタートすることを、過去の失敗と痛みから学びました。

祈りは神様との対話だそうです。どんな事でも正直に気持ちをお伝えしましょう。日々の祈りを通して、神様の恵みの御座に近付けますように。

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ人への手紙4章6節)

カラマ正子

9月27日2015年の週報に掲載

 結核を患った3人の青年がタンタラスの山にこもり、三日三晩の祈祷の末、完全に癒されて下山したというのは、関先生がホノルル教会の歴史を語るときに必ず出てくるストーリーです。このホノルル教会の起こりは、もうみなさんもよくご存知のことでしょう。

 不思議な主の導きにより、私たち家族がそのタンタラス山頂付近の家に住むようになり、早7年が過ぎました。引越してきた当初は、土曜日早朝に山頂祈祷会を行っていましたが、場所の不便さや時間の無理があったのでしょう、それもあまり長く続くことなく中断し、今に至っています。

 しかし今回、家の持ち主より、来年にはこの家を売りに出すと通達がありました。早ければ来年6月30日には、私たち家族はこの家を出なくてはなりません。この通達を聞いて、また祈りの集いを始めたいと心に強く思わされました。まだ日時やどんな形かなどの詳細は何も決まっていません。神さまに導かれ、神さま主導でスタートしたいと考えています。これを読まれて、同じ思いを持たれる方は、どうぞ私までお声をおかけください。ともに祈りましょう!!

 最後に、この家に引越してくる際にいただいた主のことばをシェアさせていただきます。

   I’m the man on the mountain. Come on up!
   わたしはその山にいるものだ。登って来い!(筆者訳)

ウィルソン加奈子

2015年9月18日

9月20日2015年の週報に掲載

 私達が救われるために、誰かに、どこかで、必ず祈られていたはずです。 祈られたことはない、と言える人はただの一人もいない、と思います。
祈ってくださった人、あの人、この人のお顔が浮かびます。そして、お顔も知らない方々からの祈りもあった、ということに気付かされた時、感謝でいっぱいになります。

 私たちがHoustonに住んでいた頃、小学校5年生だった娘を近所の教会のBible Campに行かせました。そこで、娘はイエスさまを信じる、と手を挙げました。 それから長い年月を経て、私と娘は一緒に洗礼の恵みにあずかりました。

そして又、それから何年も経ちました。ある日、アルバムや手紙を整理していた時に、そのBible Campで子供達にイエス様のことを伝えてくれた、大学生の方からの手紙を見つけました。そこには、彼女が、娘とそして親である私達のために祈っているよ、と書かれてありました。とても、感動したことを憶えています。

 祈りはきかれます。家族のために、知人のためには勿論、知らない人のためにも祈りましょう。ハワイですれ違う多くの観光客の為にも祈りましょう。祈られたことがない、という人がないまでに、祈りのネットワークが広がりますように。

加藤慶子

2015年9月11日

9月13日2015年の週報に掲載

 明日からサバティカル休暇の後半を取得します。今回は、日本でのご奉仕のほかは、ハワイで過ごします。その間、執筆や学びのための充電をしたいと思っています。

 留守の間の教会も、主が素晴らしいことをしてくださると期待してお委ねして安心です。

 9月20日~23日 日本の河口湖で開催されるグローバリー・リターニーカンファラスのためにお祈りください。海外で信仰を持たれた方のための集会です。日本全国および海外から300名上が集まります。そこで、2回のメッセージと、1回の分科会を担当します。また期間中にHCC関係者の同窓会も持つ予定です。角田利光さん、愛美さんも参加する予定です。

 これからの海外日本人宣教と、日本に帰国してからのフォローアップのために、よき情報交換の場ともなります。

 HCCの日本国内事務局として、角田愛美さんが、一生懸命に関わってくださっています。

 どうぞ、この大会のためにお祈りください。これからホノルル教会が、日本人宣教のためにいよいよ用いていただけるように、献身を新たにし、主イエスに従っていきましょう。

関真士牧師

2015年9月4日

9月6日2015年の週報に掲載

 今年は、次から次へとハリケーンがやってきますが、今のところ直撃はありません。この島が守られますように。

 先日持たれた合同リトリートで、英語部の方々に日本のキリスト教会の状況をお話しました。

 日本のプロテスタント教会総数は7800。年間受洗者数ゼロの教会は65%。年間洗礼者数は国内8000人、国外1600人。平均礼拝出席は24名。礼拝出席数は1000人に2人。クリスチャン人口(プロテスタントで礼拝に定期的に参加している)は、0.1% 120万人。ハワイに日本からの年間観光客数800万人。 海外でイエス様を信じる人の割合が、とても高いこと分かります。特にハワイでは、日本のからの観光客数が、日本のクリスチャン人口をはるかに上回ります。

 このことから、ハワイにおける日本人宣教をチャレンジしました。英語部の方々の心に何か響くものがあったと思います。

日語部と英語部が、宣教において一致協力して働くことが出来たら素晴らしいと思います。ホノルル教会に神が与えてくださっている賜物は豊かです。その分、責任も大きくなります。賜物を忠実に使い切りましょう。主から、宣教への情熱をいただきましょう。

関真士牧師

2015年8月27日

8月30日2015年の週報に掲載

 今年の世界平均気温は、史上最高の高温だそうです。ここハワイも、らしからぬ暑い日が続きます。水分補給をしっかりして体調管理しましょう。

 礼拝の途中でも、気分が悪くなったら、どうぞ近くの方に声をかけたり、受付に用意されている水をお飲みください。

 ヨハネ13章34,35節「互いに愛し合う」という事をテーマに、シェパード委員の一人一人に示された御言葉からメッセージを語っています。それぞれに示されたことが、パズルのピースのようにして、持ち寄ると、そこに一枚の絵が出来上るようです。

 ピリピ2章2節から「同じ愛を持つ」、エペソ6章18節から「祈り合う」、マタイ21章13節から「祈りの家」、そして今日は、使徒の働き16章31節から「家族の救いと回復」、さらにヨハネ21章19節「主に従う」と続いていきます。

 過去のメッセージの文章起こしも進んでいます。現在10名の方が奉仕してくださっています。まだボランティアを受付中です。

関真士牧師

2015年8月21日

8月23日2015年の週報に掲載

 8月15日は、第二次世界大戦の終戦記念日でした。日本は、この日以来、戦争をしない国となり、文字通りの「終戦」となっています。これからも、そうであってほしいと思います。

 しかし、アメリカには、「終戦」がありません。アメリカに限らず、世界にいつ本当の「終戦記念日」がやってくるのでしょうか?

 15日には真珠湾で、日本の長岡花火が打ち上げられました。同じ火薬の爆発する音でも、70年数年前とは、まったく違います。かつては、同じ真珠湾に爆音が炸裂し、世界に争いと痛みが拡がっていきました。

 その同じ場所で、みんなが花火を楽しめるようになったのです。それはそれで素晴らしいことです。

 ハワイという場所は、地球儀を見たら一目瞭然、東と西の真ん中にあります。ここは世界的影響を与えることを考えるなら、戦略上重要な場所であることは素人でも分かります。

 私たちは、この場所で、キリストの福音を日本にアメリカに世界に拡げる者として用いていただきましょう。ハワイから、ここから、キリストの愛、平和、癒しが拡がっていきますように、私たちの祈りです。

関真士牧師

2015年8月14日

8月16日2015年の週報に掲載

 本日は、年に一度の恒例となっている「心に光を」講壇交換です。「心に光を」放送の支援と啓蒙を目的としています。

 今年は、オリベットバプテスト教会の渡辺牧人先生をお迎えしています。牧人先生と私は、実は約30年前、私がサンノゼでコックの仕事をしている時に出会っていたのです。

 牧人先生は当時、神学生として学びながらサンフランシスコの日本人教会の副牧師として奉仕されていました。救われたばかりの私は、牧人先生にずいぶんとお世話になったのです。そして今、同じハワイで主に仕える同労者としてご奉仕させていただけるのは、なんとも不思議な導きです。

 「心に光を」放送は、毎週月曜日から金曜日、午後2時半から15分間、AM1210 KZOOラジオから放送されています。 現在は7名の牧師が順番に担当しています。この放送を通して、数えきれない方々が主のもとに導かれました。井下先生のように牧師にまでなった方もいます。

 この放送は、100パーセント、支援者からの献金によって運営されています。どうぞ、ご支援をお願いいたします。

関真士牧師

2015年8月7日

8月9日2015年の週報に掲載

 滝元明師が、8月1日早朝、天に召されました。85歳。まさに凱旋という言葉がふさわしい、堂々たる召天でした。体調を崩され、肝臓がんが判明してから一ケ月でした。病室のベッドでも、最後まで日本のリバイバルを祈り続けていたそうです。

 滝元明師は日本を代表する伝道者として、リバイバルミッションを主導し、日本に限らず、世界のいたるところで、リバイバル集会を導いてこられました。滝元師の与えた霊的影響力は計り知れないものがあります。

 滝元師を一度お車に乗せてワイキキのあたりを通ったことがありました。先生は日本人らしき人を見るたびに、「主よ、どうぞ救ってください!」と祈るのです。結局、車中ではずっと祈り続けていました。

 私が滝元先生に接して思うのは、まるで幼子のような純粋さです。まったく裏表のない人で、ただただ、主を愛し、人々を愛している。ただその愛に生きた方でした。

 滝元師のリバイバルへの熱い想いを受け取って、私たちも前進していきましょう。8月13日(木)7PM 日本で開催される滝元明記念聖会に同時中継で参加する計画があります。

関真士&れい

2015年7月31日

8月2日2015年の週報に掲載

 先週の第二礼拝の後、まさにサプライズでした。私とれいのために、歓迎パーティを開いてくださり、皆様からの一言をいただき、レイとメッセージ、子供たちからも素敵なペアのマグカップ、そしてラブオファリングまでいただき、まるで結婚式のカップルのように、皆に祝福していただきました。お休みをいただいた上に、なおかつ、このように迎えてくださり、世界で一番幸せな牧師夫妻だと思います。

 どのような言葉をもっても、私たちの感謝の気持ちを十分に現すことはできません。ただただ、ありがとうございます。足りない所の多々ある牧師夫婦ですが、皆様の寛容と忍耐のゆえに、今日まで歩むことができました。

 ホノルル教会の愛の絆は、確実に強く、太く、しなやかになって来ていると思います。この教会なら、自分の大切な人を連れて来たくなる。ここに来たら愛が分かる、そう言える教会であることを誇りに思い、主の恵みに感謝をいたします。

 この祝福のすべては、イエス様の恵みです。イエス様が全てです。このイエス・キリストを、これからも全身全霊をもってお伝えしていきたと、夫婦ともども献身を新たにしています。 天の父と皆様の愛に心から感謝をいたします。

関真士&れい

2015年7月24日

7月26日2015年の週報に掲載

 サバティカル休暇を終えて、無事に戻りました。皆様のお祈りに心から感謝いたします。

 途中、修養会、教団総会も挟まったので、全部6回の主日を留守にしました。こんなに長く留守にしたのは、初めてだと思います。

 日本に2週間の旅行に行けました。家族にとっては5年ぶりの日本となり、とてもエキサイティングな旅となりました。九州、熊本で吉田文人先生にお会いし、福岡では安藤秀世先生夫妻、そして佐賀で松永さんのお母様にお会いすることができました。れいの実家の岡山、そして京都で日本に帰国した若者たちと会い、群馬のファミリーキャンプでは63名の参加が集まり、井下ファミリーも参加してくれました。そして東京聖書学院の施設に宿泊をし、角田ファミリー、愛架ちゃんが可愛くて連れて帰りたくなりました。中川祐真兄とも再会を喜びと…、書いたら切りがありません。その後カリフォルニアに2週間滞在と、盛りだくさんのサバティカルとなりました。

 改めて、牧会の務めから離れてみて、気づかされることが沢山ありました。教会が、キリストの体であり、キリストがその体の頭であることの意味を、深く考えさせられました。

また、新しい心を持って牧会に励んでいきます。感謝いたします。

関真士牧師

2015年7月17日

7月19日2015年の週報に掲載

 サンタバーバラでの夏の修養会にホノルル教会から22名の参加で出発した。北米ホーリネスの各教会からの参加をあわせて総勢200名余り。

 会場はウエストモント・クリスチャン大学内で、広大なキャンパスはうっそうと静まり返った森の中にある。私たちが使わせていただく宿泊の学生寮、教室、ホール、キャフェテリヤなどの建物は広々と緑の中に点在している。日頃の忙しさから解放されて、3度3度の美味しい食事も用意され、この開放された環境の中でプログラムはスタートした。今回のメイン講師は日本からの藤本満先生で、初回大好評であったため今回は2度目の招き。

ガラテヤ人2:20 (私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです)

 このところから4回にわたり藤本牧師はある時は笑いあり、熱く語ってくださった。この特別な聖霊充満の中で、一人ひとりにどのように神様が語ってくださったのでしょうか。今回は初めての参加者が沢山おられ、特別恵み多い修養会であったのではないでしょうか。“キリスト者はどのように生きるのか?それは神の愛に応えて生きているのだ”これが私に迫ってきました。

真柴香姉

2015年7月10日

7月12日2015年の週報に掲載

 先週、夏期修養会へ参加してきましたので、その恵みをシェアします。 ホーリネスの福音は新生、聖化、神癒、栄化(再臨)ですが、現実問題として、信仰の成長がこのように起こらないという事なのです。 実際、成長しているクリスチャンが、アブラハムがイサクを捧げた時のように、どん底へ落とされるような体験をすることがあります。なぜかわかりません。

 しかし、その中にあって、聖めの深みをもっと体験しようとする人たちと、聖めは無いと言って諦める人たちがあります。 もし、私たちが信じるキリスト教がご利益宗教でしたら、聖めは無いと言った方が良いでしょう。

 十字架の贖いによって私たちは、完全に赦され救われ、聖霊を戴いたのです。 その結果、私たちの心の中にイエス・キリストが住んで下さり、聖霊の働きに身を委ね生活するのですから、私たちは何も心配する必要はないのです。

 私自身、このメッセージを受け取った時に非常に悩みました。 自分の中にイエスさまのような強さが無く、弱さがたくさんあるからです。

 聖霊に身を委ねるという事は一体どういうことなのか? 自分が無理して、一生懸命生きる事だろうか? そこには聖霊に身を委ねていない自分の姿があります。 その事に気が付き、祈って御霊に従って生きることが大事なようです。

松田従旨

2015年7月4日

7月5日2015年の週報に掲載

「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストを知ることです。」
(ヨハネの福音書十七章三節)
十字架のナザレ人イエス。

両手両足を釘でつらぬかれ、わき腹を槍で突き刺され、
ののしられ、あざけられ、罪もないのに罪人とされ、
なにも言わず息を引き取ったその姿。

あまりにもみじめ。

HOPE?どこに?
ナザレ人イエスの墓。

誰もいない。なにもない。

悩みも、苦しみも、悲しみも、恐れも、
そして死も、ない。そこにはなにもない。

なにもない、もうなにもない。

そう思えるときにもあるHOPE。

ナザレ人イエス、
この世を歩いて下さったイエス・キリスト。

玉川トーマス

2015年6月23日

6月28日2015年の週報に掲載

 人の命は実にはかないものである。

 愛するクリスチャン姉妹が凱旋された。

 日曜日の教会の帰りに彼女の自宅にお見舞いに行った時は、あまり元気でなかったけれども、クリスチャンの姉妹と祈り終った時は、ものすごく力強い大きな声で「アーメン」と言われ、又、帰る時も何度も、「ありがとう。ありがとう。」って大きな声で言われていた。それが、最後の言葉になるなんて夢にも思わなかった。翌日の月曜日に、病院に駆けつけたときはすでにお医者さんからのご臨終の声を聞いたときは、自分の耳を疑ったくらいだった。

 クリスチャンの死は天国で永遠の命が約束されているので、大いなる喜びであることは確かなことだけど、私にとっては、喜びである反面、正直言って心の中は寂しさもつのる。

 彼女が2012年に受洗されてからずっと一緒に行動をしてきただけに彼女の好きだった食べ物や、日本食の売っている店、日本食のレストラン、大好きだった教会の幼子達を見ているとふと心の中に寂しさが湧いてくる。これほどまでに彼女との思い出が鮮明に浮かんでくるのは、ある姉妹が言われたように、やはり私と彼女は神の家族で横とのつながりがしっかりと結ばれていたのだと示されたとき、彼女の死を通して神の栄光を見させていただいた主に心から感謝の気持ちで一杯である。

 私達クリスチャンは、死ぬ前に神への大きなつとめが託されている。それは、神への悔い改めである。この悔い改めをすることによって、私達クリスチャンは天国で永遠の命が約束されている。クリスチャンだけに与えられた素晴らしい特権である。なんて感謝なことでしょうか。礼子さんは、見事それをなしとげられました。ハレルヤ!です。礼子さん、天国のイエス様の所でどうぞ私達を見守っていて下さいね。主に感謝です。アーメン!

バイヤース末子

2015年6月18日

6月21日2015年の週報に掲載

 今日は父の日。最近の子供たちは、厳格な父親より、まるで友達のような感覚で接することができる父親を望んでいるという。 また、多くの幼稚園では、近年の家族構成の変化から、母の日も、父の日も取りやめ、代わりにファミリーディーを設け、家族全員に感謝を表す日としているという。

 50年位前まで、父親は家族の大黒柱であった。 時代が進むに伴い、大黒柱とは?と死語となりつつある。 人間の考えた権威ある言葉には揺らぎがあり、社会の、あるいは家庭の大屋根を支えきれないのである。

 『肉親の父親は、私たちの将来のために、ほんの短い間だけ、それも、限られた知識に基づいて、訓練してくれます。ところが神様は、私たちの最善を願って、神様の聖さを共有させようと、いつも、正当な懲らしめを与えてくださるのです。』(ヘブル人への手紙12章10節』とある。

 父なる神の懲らしめ、訓練は、神の真理、義、深い愛の配慮とに基づいてなされる。 神の権威は永遠に変わることなく、訓練は厳しさと愛によってなされている。 父なる神は、不変で不偏で、普遍な方である。厳格な方ではあるが、計り知れない愛で喜び、平安を与えてくださる方である。 クリスチャンの父の日は24時間、365日であり、不滅であることに感謝である。

高橋明子

2015年6月12日

6月14日2015年の週報に掲載

 今日June 14th はFlag Dayです。Americaの国旗をよく知り、星条旗にPledge of Allegiance (国家への忠誠を誓う)ことを示すというような意味合いで設けられています。日本にも憲法記念日や建国記念日があります。

 教会に星条旗を架がげることが問題になったり、日本でも学校で国旗に拝礼することが問題になったりしています。

 キリスト教のシンボルはイエス様の十字架です。そして今でもカソリックの信仰者は十字を切り、父と子と聖霊の御名によってと十字を切り祈ります。十字架のイエス様に忠誠を誓う意味でもこの十字を切りお祈りを奉げるのは私達の信仰を強めるために復活させては如何でしょうか?

 ハワイには日本から年間150万人を越える観光客が来ております。これは日本のクリスチャン人口(百万人弱)を上回る人が、この島に観光(休暇)に来ていることになります。私達ホノルルキリスト教会がこのハワイのオアフ島にあることが、南十字星の示す同胞の救いの為に、心を合わせて熱く祈り、そしてイザヤ書の56章7節の御言葉の勝利の約束を勝ち取りたいと願っています。

 我これをわが聖山(きよやま)にきたらせ、わが祈りの家のうちにて楽ましめん。わが家は全ての民の祈りの家ととなへべければなり。(イザヤ56章7節、文語訳)

加藤誠彦兄

6月7日2015年の週報に掲載

 明日6月8日~7月20日まで、サバティカル休暇を頂きます。よき充電期間となりますようにお祈りください。留守の間の教会も「私たちはイエス様の弟子です」のテーマのように、それぞれがイエス様との交わりを深める良き機会としてください。サバティカルは、基本的に、牧師を牧会の職務から離すためにあります。その点を考慮いただいて、極力牧師と連絡を取ることは控えてください。緊急時は、まず、お近くのシェパード委員まで連絡をください。

 今週からヨガクラスも始まります。ヨガはヒンズー教が発祥ですが、大丈夫ですか? という心配もあるかもしれません。しかしフラの例もあるように、フラはまさにペレの神々に捧げるものですから、最初の宣教師はフラを禁止したくらいです。

 しかし、今ではゴスペルフラもあるように、偶像礼拝の要素は取り除き、その踊りの良い部分を取り入れて神を賛美しています。ヨガも同じように、そのストレッチや呼吸法を、真の神への瞑想、健康法に取り入れたものです。
 どうぞ、興味のある方はご参加ください。

関真士牧師

2015年5月29日

5月31日2015年の週報に掲載

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」 ヨハネ福音書十三章三十五、三十六節

 この御言葉が、今年度の年間聖句です。年間聖句とは、ホノルル教会に対する神の御心です。この御言葉は「主よ、あなたはこの教会にどのように歩んで欲しいと願っておられますか?」という祈りへの応えです。

 イエス様の弟子として歩みましょう。弟子とは、イエス様の言葉に留まる者です。その意味は、信じるだけではなく、その言葉の中に生きるということです。

 イエス様の弟子とは「互いに愛し合いなさい」という御言葉に留まる者のことです。

 この御言葉から、どんなことがあっても、ずれない、ぶれない、外れない。それにしても、互いに愛し合うということを「互いの間に愛があるなら」と表現していることは興味深いことです。愛とは、自分の内にあるものであると同時、間にあるものなのです。その意味を考え、求めていきましょう。

関真士牧師

2015年5月22日

5月24日2015年の週報に掲載

 今回の牧師のサバティカル休暇に際して、シェパード委員会は標語を掲げました。それは「私たちは、イエス様の弟子です。」というものです。

 この標語の背景には、私たちは、牧師や、他の誰かの弟子ではない、イエス様の弟子である、という事が含まれています。

 クリスチャン信仰の素晴らし特徴は、誰でも直接に神と交わることが出来るということです。聖なる神に近づくことさえ出来ない罪人であった者が、イエス様の十字架の救いのゆえに、神を天のお父さんと呼ぶことのできる関係に入れられるのです。

 ですから、誰が特定の人間を介さなくても、誰でもイエスの御名によって神との交わりを持つことが出来るのです。

私たちは、イエス様の弟子です。弟子は、主のことばに従う人です。その人こと、イエス様の本当の弟子なのです。

関牧師

2015年5月15日

5月17日2015年の週報に掲載

 今朝は、喜びの洗礼式が持たれました。おめでとうございます!

 また本日の礼拝の中で「ネヘミヤ・プロジェクト」が紹介されます。これは、東京聖書学院という神学校の増改築工事のことです。

 ホノルル教会の属する北米ホーリネス教団は、この神学校と大変に深い関係を築いてきました。なぜなら私とれいも含めて、日本語部の牧師の多くがこの神学校の卒業生だからです。現在もホノルル教会から中川祐真兄、角田ファミリーがお世話になっています。

 この度教団は、このプロジェクトへの経済的支援を行うことを決めました。私たちホノルル教会としても、出来り限りの支援を行いたいと願っています。

 今日から6月21日(日)まで、献金箱を用意します。どうぞこの働きのためにお祈りくださり、また志のある方は、献金をお捧げください。 なお。このプロジェクトの詳細は、チラシをお読みください。

関牧師

2015年5月8日

5月10日2015年の週報に掲載

 次週の17日は洗礼式が持たれます。朝6時、カイマナビーチで行われます。7名が受洗されますが、内1名はご高齢のため第二礼拝の中で滴礼で行います。

 洗礼式は、卒業式ではなく入学式です。イエス様を信じる前の人生は、信じた後の人生の準備期間です。これからが本番です。これまでの人生のすべてのことが、今この時、益と変えられるのです。

 洗礼式において、水の中に全身が浸る時、それは古い自分の葬りを現します。そして水から出てきた時、それは新しい自分の生まれ変わりの時となります。

 「誰でもキリストにある者は、新しく造られた者である」(Ⅱコリント5:17)

 人々がイエス様を信じて洗礼を受けられることは、教会にとって最大の喜びです。さらに教会は、破れない網として、いよいよ強められていきたいと思います。どんなにたくさんの人が救くわれ、この群れに加えられても決して破れない網として一人一人が成長していきましょう。

関牧師

2015年5月1日

5月3日2015年の週報に掲載

 今私は『舟の右側』という雑誌に二本の連載をさせていただいています。教会の二階の本棚に置いてありますので、是非ご覧下さい。また定期購読もご検討ください。日本のクリスチャン出版社は、経営的には厳しいものがあります。定期購読で経営を支え応援してくだされば幸いです。

 しかし、ただ経営を支えるために購読を勧めているのではありません。この雑誌の『舟の右側』とは、今日のメッセージの箇所に出て来ます。私たちが、福音を伝える時、どこに網を下ろしたらいいのか? を提案するのがこの雑誌の目的です。

 これまでの特集としては、学校荒廃、葬儀、薬物依存、震災支援、原発、ドメステックバイオレンス、人身売買、イスラムの問題など、今月は怒りについて特集しています。

 社会の破れ口に立つ教会として、ここに、イエス様の福音を必要としている人が居る、という事に私たちの目を開かせてくれます。

 教会自身が、まず破れない網として強められ、そしてイエス様から「ここに網を下ろしなさい」という所に福音を伝えていけますようにと祈ります。

関牧師

2015年4月23日

4月26日2015年の週報に掲載

 5月17日の洗礼式が予定されています。今回はちょうどその日にトライアスロン大会があり、アラモアナビーチが入れないので、場所を変えています。カイマナビーチにて、朝6時に洗礼式を行います。

 洗礼とは、イエス様を救い主として信じた者たちが受ける、大切な儀式です。洗礼を受けるということは、イエス様を信じていることを公に告白することとなります。

 洗礼という儀式が人を救うのではなく、救われた人が洗礼を受けるのです。洗礼には、葬りと復活の二つの意味があります。水の中に全身が浸された時、古い自分は葬り去れたこと、そして水から上がった時、新しい自分として生まれ変わったということを現しています。

 洗礼は、卒業式ではありません。始まりです。これから、イエス様と共に歩む人生が始まるのです。

 もちろん原則として洗礼は人生で一回限りのことです。

 私は1984年の12月に洗礼を受けました。20歳の時でした。それから30年、三日坊主の私がここまで来れました。それは神の恵みに支えられてきたからです。イエス様を信じて歩む人生、神の真実が生涯、私たちを支えるのです。

関牧師

2015年4月17日

4月19日2015年の週報に掲載

 復活のイエスに出会った人々は、大きな喜びに包まれ、その喜びの知らせを伝えるために、思わず走り出したくなるほどです。

 母マリヤの走っている姿を想像できるでしょうか? 女性たちは走りました。弟子たちにイエスの復活を伝えるためです。その知らせを聞いて信じた人々は、大きな喜びに包まれ、走り出します。このように信仰のバトンが渡され続け、今そのバトンは私たちが持っています。走りましょう。この福音を伝えるために。

 イエスを信じた者が受ける洗礼とは、このバトンを受け取ることを意味します。

 バトンを受け取った者には、メッセージが託されます。ライフメッセージ、命のメッセージです。私たちは、伝えられた者から、伝える者へと変えられるのです。

 私たちは、みな例外なくメッセンジャーです。牧師だけではありません。ただ伝える方法において違うだけで、みなが神のメッセージを託されているのです。私たちは、ただ闇雲に走っているのではなく、確かな使命を帯びて走っているのです。この命のメッセージを、これからも伝えていきましょう。

関牧師

2015年4月10日

4月12日2015年の週報に掲載

 4月15日は、関家にとってハワイ上陸記念日です。今年でちょうど丸10年となりました。

 あっという間でしたが、最初の頃の写真を見ると、10年一昔と言いますが、本当に時が経ったのだと改めて感慨に浸ります。この10年で出会った人、見送った人、そのお顔が頭に浮かびます。人生とは出会いと別れなのだと実感します。

 40歳でハワイに来ました。不惑の年としてこの10年間は、とにかく突っ走って来たという感じがします。よくついて来てくれた妻と、自発的に奉仕に参加してくれる子供たち、家族に感謝です。そして未熟な私たちを祈り、支え、励まし続けてくださる神の家族である教会の皆様に感謝です。

 50代に入り、身体的な変化を実感しています。限りある時間、体力、機会を、いかに忠実に使い切るかを考えています。あれもこれも出来る年代ではなくなったことを自覚しなければなりません。これからの10年は、自分が走るより、走れる人を育てるコーチのような役割に、その働きをシフトチェンジしていきます。

 これからも、主の成してくださることに期待し、信頼し、歩んでいきます。関ファミリーのためにお祈りください。

関牧師

2015年4月3日

4月5日2015年の週報に掲載

 今日は、復活祭。イエス・キリストの復活を心からお祝いします。

 キリスト教は空虚な墓の上に立つと言われます。イエスが十字架で死なれたことが歴史の事実であることのゆえに、この地上に墓が存在します。墓とは、その人が、この地上に生きたことの記念であり、記憶です。

 しかし、その墓は空っぽです。「彼はそこには、いない」のです。なぜならイエスは死を打ち破って甦られたからです。

 もしイエスが甦られなかったら、私たちは世界一の嘘つき、虚しい存在となってしまいます。存在しない者に賛美を捧げ、祈ることなど滑稽なことです。

 しかし、私たちは虚しい者ではありません。主は確かに甦ったのです。それが本当か嘘かを一番知っているのは、弟子たちです。人は偽りのために命を捨てることは出来ません。あのペテロが殉教の死を遂げるまで、復活の主を宣べ伝えたのです。彼は、復活の主に出会ったからです。

 主は、今も生きておられる。これが私たちの信仰です。だから私たちの信仰は過去形ではありません。今のことです。だから、今を輝いて生きることが出来るのです。

関真士牧師

2015年3月26日

3月29日2015年の週報に掲載

 今年の受難節は、「十字架上の七つの言葉」をテーマに語ってきました。いよいよ今日は、その七つ目の言葉になります。もし礼拝をミスした方おられましたら、是非教会のホームページからメッセージを聴いてください。

 最初に、イエスの十字架の意味を知り、その恵みを自分のものとするためなら、どんな犠牲を払ってでも求める価値があると言いました。全力で、この十字架に対して行こうと呼びかけました。

 皆様は、どのように応えてくださったでしょうか? 十字架の恵みを、自分のものとされたでしょうか? 新しい恵みの発見があったでしょうか? この呼びかけは受難節に限りません。これからも常に呼びかけ続けます。すべての答えは、あなたが、どのようにイエスの十字架を体験するかにあるからです。

 今週は、受難週です。パッションウィークです。金曜日はグッドフライデー7PMより日英合同の礼拝です。それに先立ち、5PMからソーシャルホールで『JESUS』の映画を上映します。世界で最も多く上映されている、不朽の名作です。内容はルカの福音書を忠実に再現したものです。どちらも、是非、ご参加ください。

関真士牧師

2015年3月20日

3月22日2015年の週報に掲載

 十字架の七言の一つ一つに、心の深くを探られ、触れられます。今日は6つ目の言葉「完了した」です。

救いは、完了したのです。誰もこれに付けたすことも、差し引くことも出来ません。完了しているのですから、私たちはそれを受け取るだけしかできません。信じるだけで救われるのです。

 信仰とは、信念とは違います。自分の意志の力で煩悩を振り切って獲得するものではありません。信仰とは、神の救いを受け入れることです。

 日本では「イワシの頭も信心から」と言います。信じる心が大切で、何を信じているかはあまり関係がないようです。

 しかし、私たちは何を信じているのか? それは信じるに値するものか、信じて大丈夫なのか、それらを納得した上で信じるのです。

 イエス様が十字架で命を捨てられた。自分のためにイエス様は神の罪に対する裁きを受けてくださったのです。だから、私たちの罪は赦されました。罪が赦されたので、永遠の命をいただき、神の子とされ、神と共に生きる者にされたのです。この事を信じますか? これは信じるしかないことです。

関真士牧師

2015年3月13日

3月15日2015年の週報に掲載

 北村美餘子姉が、3月11日夕刻、ご自宅にから天父の御許に召されました。90歳でした。ご家族の上に、主の慰めが豊かにありますように、お祈りいたします。

 北村姉は、長年に亘りKZOOラジオの名アナウンサーとして活躍されました。そして1981年に「心に光を」放送を始められ、現在34年目を迎えています。

 北村姉は、1978年10月1日にホノルル教会において洗礼を受けられました。以来、執事を始めとして教会のリーダーとしても、長年ご奉仕くださいました。

 近年は、パーキンソン病を患い、ご自宅で娘さん夫婦と3人の孫たちに囲まれて療養していました。肉体の限界を超えてるように見えても、なお主日礼拝に参加され、家庭集会を持ち続けました。

 北村姉は、伝道の人でした。キリストの福音を伝えるために生涯を捧げた人でした。北村姉の召天を通して、これまで撒かれて来た福音の種が一斉に芽を出すことを祈ります。

 一つの時代の節目を感じます。

関真士牧師

2015年3月6日

3月8日2015年の週報に掲載

 今週は3月11日を迎えます。東日本大震災を覚えます。次週の15日の礼拝後は合同クラスです。森宗孝さん、サンディさん夫妻の岩手県釜石における宣教活動の報告があります。

 被災地においては、キリスト教会による息の長い被災地支援が継続されています。ホノルル教会では、特に南三陸における支援活動をされている中澤竜夫牧師の「架け橋」の活動を定期的に支援しています。

 私たちの祖国日本のことを想う時に、心が痛みます。被災地の事はもちろん、原発、教育、政治、家族、とんでもない事件が後を絶ちません。

 祈りましょう。そして教会がこの時代にある意味を悟り、世の光として、地の塩としての使命を果たしてまいりましょう。

 受難節の時期です。イエスの十字架のもとで、神の家族として、キリストの愛で結ばれていきましょう。

関牧師

2015年2月27日

3月1日2015年の週報に掲載

 最近、教えられたことがあります。先日初めてゴルフの打ち放しに行きました。ある方が誘ってくださり、まったくの初心者である私に手ほどきをしてくださいました。

 二回目の打ち放しの時、後ろで見ていたお年寄りの方が声をかけてくださって「力が入り過ぎている」と指摘されました。ゴルフで大切なのは、とにかく力まないことだと教えてくださいました。

 先日礼拝に参加された大内恵史也さんは、100M競争の日本代表選考会に参加する予定です。(関東大会で優勝し、選考会に出るということは大変なことです)彼も、力まないことを伝えてくれました。

 スポーツ全般に言えることですが、力を抜くことが大切で、力むとフォームが崩れます。これはスポーツ以外にも言える、一つの真理だろうと思います。全力で最大限の力を出すためには、力を抜くことです。力を抜いて、力を出すという、一見矛盾ですが、ここがポイントです。

関牧師

2015年2月20日

2月22日2015年の週報に掲載

 本日、午後3時より、マキキ教会にて「心に光を支援者大会が」開催されます。毎年恒例の行事です。「心に光を」放送は、現在月曜日から金曜日 2:45PM~3PM AM1210KZOOラジオから放送されています。現在ハワイ在住の牧師7名が順番に担当しています。

 この放送を通して、実に多くの多くの方々が教会に導かれてクリスチャンになりました。この放送は、すべて支援者の献金によって運営されています。 年に一回の支援者大会は、この放送の働きの紹介と支援の呼びかけのためにあります。どうか「心に光を」放送のために、お祈りと経済的支援をお願いいたします。

◆今年の復活祭は4月5日(日)です。その日までの受難節の期間、主の十字架を想いながら過ごしましょう。また、復活祭の日には聖霊式も予定されています。洗礼を希望の方は、関牧師までお知らせください。

関牧師

2015年2月13日

2月15日2015年の週報に掲載

 次週の22日(日)3PMから マキキ聖城教会において「心に光を支援者大会」が開催されます。どうぞご参加くださり、ご支援ください。

 受難節は復活祭から日曜日を除いた40日前から始まります。英語では「レント」と呼ばれます。Zippysにレントメニューというのが登場しますね。

 レントとは、古ドイツ語で「断食」を意味します。イエスの十字架の苦しみを想い、断食をすることがあったからです。ちなみにカーニバル(謝肉祭)とは、断食に入る前に、思いっきり食べて楽しんでおこうという事から始まりました。

 現在、受難節の過ごし方は教会によって様々です。受難節という暦にこだわらない教会もあります。

 ホノルル教会では、一年の中で、この受難節を霊的な高嶺として考えています。特に聖金曜日、復活祭がその頂点です。なぜなら、イエスの十字架をどのように理解し、体験とするかが、信仰の根幹だからです。これが分からなければ、何も始まりません。しかし、これが分かると、すべてが分かります。

 「あなたにとって、イエスの十字架とは、何の意味がありますか?」 毎年言い続けていますが、この課題に全力で取り組みましょう。この事のためになら、どんな犠牲を払ってでも、それは安いものです。それくらいに、十字架を知り、体験することは、素晴らしいことなのです。

関牧師

2015年2月6日

2月8日2015年の週報に掲載

 イスラム国による邦人殺害のニュースに深い悲しみを覚えます。先のイラク戦争以来、情報を制する者が戦いに勝つ、ということが言われています。

 現在のイスラム国が行っていることは、人の心を持った人間とは思えないほどですが、情勢戦略においては非常に優れていると言われています。ウェブを駆使して兵士の募集し、ユーチューブで殺害の映像を流したり、インターネットをフル活用しています。私たちは、このような情報に触れる時は、「情報は必ず解釈する」ということが重要です。
 情報を流している者には、それを流す目的と意図が必ずあるからです。その情報に接した者が、どのように反応するかを予想し、そのように反応させるために情報を流すのです。これは、スーパーのバーゲンの広告から、すべての情報に共通することです。イスラム国があえて、あのような映像を流す目的と意図は何でしょうか? それは恐怖と憎しみを拡げることです。それによってもっと大きな争い引き起こしたいのです。それに乗じて、イスラムの国を拡大したいのです。

 クリスチャンであった後藤健二さんがツィッターに載せた言葉が心に響きます。

 目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。

 敵の策略に惑わされることなく、目を閉じて、祈りましょう。

関牧師

2015年1月30日

2月1日2015年の週報に掲載

 一年に一度の牧師リトリートに参加するために、LA郊外のパサデナに来ています。このリトリートセンターは、カトリックの施設で、自然の豊かでリトリートにふさわしい環境です。今日も、散歩中に野生の鹿の群れに出会いました。

 今回の牧師リトリートの中で、自分の墓碑を書くという作業がありました。40字くらいでまとめるのです。

 例えば「彼は、イエスと共に人生を十分に楽しんだ」とか、「彼は、その生涯を神に捧げ、キリストの福音に仕えた」など。

 墓碑など考えたことがありませんでした。皆さんは何と書きますか? そこには、自分がどのような人生を送りたいかが現れます。

 リトリートの途中で、車で20分くらいのAzusa大学にいる勇矢に荷物を届けて来ました。キャンパス生活をエンジョイしているようです。

 このリトリートの期間、主が何を語ってくださるのか楽しみです。このような機会が与えてくださる教団と、また送り出してくださる教会に、心から感謝をいたします。 

関牧師

2015年1月23日

1月25日2015年の週報に掲載

「イエスの招き 来なさい」というテーマで4回メッセージを語る予定です。

 イエスはマタイに「わたしについて来なさい」と招かれました。マタイは、立ち上がってイエスに従いました。

 イエスに従うために、理由を考え、状況を判断し、損得を計算し、自分の力量を考え、廻りの人に聴き…、だからイエスに従おう、イヤやめておこう、と私たちは考え、判断し、決断するかもしれません。

 しかし、イエスに従うのに、それらの要素は関係ありません。イエスに従うのは、イエスが自分を「従いなさい」と招いてくださっているからです。イエスのこの一言で、私たちは従うのです。

 それでは盲目的過ぎるのでは? と思われるかもしれません。いえ、私たちは招いておられる方が、誰なのか? 私たちは、自分の事ではなく、招いておられるイエスのことを考えるのです。

 イエスのことを本当に知ったら、私たちは立ち上がって、イエスに従う者になるでしょう。

関牧師

2015年1月16日

1月18日2015年の週報に掲載

 いつからイエス様を信じる者をクリスチャンと呼ぶようになったのでしょうか? 使徒の働き11章にその事が記されています。

 クリスチャンとは、自分で名乗ったのではなく、呼ばれたのです。私たちもクリスチャンと呼ばれる存在になりたいのです。

 アンテオケに集まるイエスを信じる者たちを、周囲の人々は一年の間、ずーと見ていました。そして、その集まりの一番の特徴として「キリスト」を見たのです。ですからキリスト者、すなわちクリスチャンと呼んだのです。

 自分を一年間観察してもらって、その後果たして「クリスチャン」と呼ばれるだろうか? とてもそんな自信はありません。しかし、アンテオケの教会の人々には、「神の恵み」が見えていたのです。自信がなければ、なおさらのこと、神の恵みを受け入れ、恵みに生き、恵みを分かち合うのです。その時、きっとイエス・キリストが現されるのです。

 私たちが、クリスチャンと呼ばれる存在になれるとすれば、神の恵みに生きることです。自分で頑張って呼ばれようと獲得するものではありません。ただ、私のために死んでくださったキリストと共に生き、感謝し、喜ぶのです。

関牧師

2015年1月9日

1月11日2015年の週報に掲載

 キリスト教徒のことを、キリスト者という。カタカナにするとクリスチャンです。

 クリスチャンと聴いて、どんなイメージを持っていましたか? あるいは、今はクリスチャンとしてどんなイメージを持たれていると思いますか?

 使徒の働きに登場するアンテオケ教会。この教会に集まった人々が、歴史上初めてクリスチャンと呼ばれたのです。クリスチャンという呼び名は、キリスト教徒自身が付けたのではなく、教会の外の人が付けたニックネームなのです。

 ニックネームとは、その人の特徴をとらえてつけられるものです。アンテオケ教会にキリストを信じる者たちが集まり始めて1年間たった後、彼らはクリスチャンと呼ばれました。

 つまり、彼らの一番の特徴は「キリスト」であったのです。

 もしホノルル教会に集う私たちが、教会の外の方に1年間観察していただいて、ニックネームをつけてくださるとすれば、どんなニックネームになるでしょうか?

 この集まりの、そして集まる一人一人の特徴が「キリスト」であったら、どんなに素晴らしいことでしょうか。私たちは、名前だけのクリスチャンではなく、実のあるクリスチャンとなりたいものです。

関牧師

2015年1月4日

1月4日2015年の週報に掲載

「この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、」(使徒の働き24章5節)

 「影響力のあるクリスチャン」となりたい。このペストのようなだと呼ばれた男は、パウロのことです。

 パウロを迫害する敵のことばなので、当時大流行していたペストに譬えられたのです。今ならエボラ熱にでも譬えられたでしょう。 いずれにしても、それほどの影響力があったということです。

 私たちは、廻りの人にどのような影響を与えているでしょうか? あなたがそこに居ることで、愛、喜び、平安…、イエス様の影響が拡がっていくなら素晴らしいです。

 咳をしたら隣の人に風邪がうつります。クリスチャンが咳をしたらイエス様の愛がうつる、そんな存在でありたいと思います。

 クリスチャンが、教会が、そこにあることで、騒ぎが起こるほどに、キリストの福音の力が現されますように。私たちは、この地域にあってインパクトのある存在となりましょう。

関牧師