2010年12月30日

1月2日2011年の週報に掲載

新年明けましておめでとうございます。

10月にシアトルでお世話になった芦沢さんから次のような話を聞きました。芦沢さんが参加している聖書の学び会でのこと。その会をリードしているのは90歳を過ぎた老聖徒、彼は50年以上を日本の宣教師として働いてこられました。彼が参加者に質問したそうです。「聖書が書かれた目的は何ですか?」

老聖徒の答えは、「神の喜びのため。神の喜びは、あなたが神のもとに帰ってくることです。それが聖書の書かれた目的です。私の救いのために、私への愛のために、私の癒しのために、私が主に従うためにではなく、神の喜びのためなのです。私の孫、ひ孫が、私の足にハグしてくる、私にとって最も大きな喜びです。彼らは、私と何の取引もしません。何の仕事も報酬もありません。ただ私のもとに来ます。それが私にとっての最も大きな喜びなのです。」

先回のメッセージでは、悲しみと憂いが喜びと楽しみに変えられというテーマで語りましたが、私たちの本当の喜びは、父なる神の喜びにあるのです。父が放蕩息子を走り寄って抱きしめたように、この父なる神の喜びこそが、私たちの喜びとなるのです。

さて、新しい一年が始まりました。今年の年間聖句はエペソ書3章14節~21節にあるパウロの祈りです。人知をはるかに超えたキリストの愛の中に深く根をおろした者となり、満ち満ちた教会として成長していきましょう。

関牧師



2010年12月24日

12月26日2010年の週報に掲載

2010年最後の週報です。今年一年を漢字一文字で表現するイベントがありますが、今年は「暑」でした。去年は「新」一昨年は「変」その前は「偽」でした。この一文字に世相が表れていますね。

しかし、気候がテーマになったのはあまり無いと思います。それほど日本の夏は「暑かった」のですね。猛暑、酷暑と言われ、もはや熱帯です。

ハワイに住む私たちは、その点、本当に恵みをいただいています。今さらながらハワイの気候の良さに感謝しています。
今年一年も、皆様のお祈りによって支えられ、守られた一年でした。心から感謝をいたします。私自身は、どれだけ皆さんに愛をもって仕えることが出来たかと考えると反省しきりです。私の気づかない所で、私の言葉や態度で傷ついた方がいるかもしれません、主にあってお赦しください。私もまだ工事中の身、さらに主のお役に立てる、そして皆さんにキリストの命を届けることの出来る器として、整えられていきたいと思います。どうぞこれまでに増して、さらにお祈りください。

今年の年間聖句は、「悲しみが喜びに――」でした。色んなことがあった一年でしたが、一人一人が、悲しみが喜びに変わる、主に慰められるという経験をされたことでしょう。主から語られ、それが答えとなり、悟りとなる。その経験が私たちの宝となります。

関牧師



2010年12月18日

12月19日2010年の週報に掲載

メリークリスマス! 救い主イエス・キリストのご降誕を心より喜びます。イエスがこの地上に来られたことの意味を想い、アッシジの聖フランシスコが捧げた「平和の祈り」に心を合わせましょう。

ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
  争いのあるところに赦しを、
  分裂のあるところに一致を、
  疑いのあるところに信仰を、
  誤りのあるところに真理を、
  絶望のあるところに希望を、
  悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。

ああ主よ、わたしに、
  慰められるよりも、慰めることを、
  理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。

  わたしたちは与えるので受け、
  赦すので赦され、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。
                        アーメン

関真士牧師



2010年12月10日

12月12日2010年の週報に掲載

久しぶりに喉がつぶれてしまいました。風邪気味で喉の調子が良くない中で、思いっきり話したものだから、夜の第三礼拝では、声が出なくなってしまいました。

でもこのしゃがれた声も、なんだか渋くていいなと思ったりします。私が小学校4,5年生くらいだと思うのですが、生まれて初めて買ったレコードが森進一でした。何とも渋い好みですが、「襟裳岬」という歌でした。それもあるのか、ハスキーな声もいいなと思います。

廻りで風邪がずいぶんと流行っているようです、手洗い、うがいを心がけて、元気に年末年始をむかえましょう。

今年もクリスマスと年末に向けてイベントがあります。日本にいた頃のある年は10を越えるクリスマスのプログラムを持ったことがありました。そうなると、もう自分が何をやっているんだか? もうクルシミ(苦しみ)マスになってしまいます。

ハワイでは、そこでまでではありませんが、普段よりも忙しくなります。プログラムをこなすのではなく、その一つ一つに、身体は忙しくても、心には静けさを持ちながら、心から主を礼拝しましょう。

マリヤが産気づいた時「宿屋には彼らのいる場所がなかった」と聖書には記されています。忙しすぎて、そんなことがないように。この時期、まず何よりも、イエスの居場所を自らの内にしっかりと確保して、奉仕に励みましょう。

関牧師



2010年12月3日

12月5日2010年の週報に掲載

さて師走に入りました。師走とは、僧侶も走るくらいに忙しいという意味ですが、別の解釈もあって、師とは昔の中国の「師団」つまり軍隊を意味しているということです。軍隊の兵士たちには農民たちが多くいました。彼らを故郷に帰さないと食料がなくなってしまいます。そこで、この時期に、兵士たちを一時的に自分たちの故郷に帰すことを、師走と表現したとのことです。

兵士たちは、一時の間、戦場にある戦いの日々から解放されて故郷に帰り、本来の仕事に戻ることが出来たのです。彼らにとってそれは、束の間の安息の時であったろうと思います。

この二つの師走の理解は正反対です。かたや最も忙しい時であり、一方では安息の時なのです。確かに私たちにとって、この12月は忙しい時です。しかし、その中にあっても、主の御前に静まり、この一年を振り返る、そんな時にもしたいものです。

プライベートな面でも、教会の活動においても、忙しくなる時期です。「忙」という字は、「心を亡ぼす」という意味です。忙しい中にも、心を生かす一時、それは神との交わり、つまり祈りの時を大切にしていきましょう。

そしてクリスマスの時期の、ひとつ一つのプログラムがただのイベントではなく、まさに聖霊の働かれる、神の業が起こる時となるように、期待し、祈りましょう。

関牧師



2010年11月26日

11月28日2010年の週報に掲載

今日のメッセージは、「キリストの再臨」がテーマです。世の終わり、最後の審判などと言うと、いわゆる「とんでも本」が沢山あって、間違ったイメージを持っている方も多いと思います。

しかし、聖書は明確にキリストが再臨されると語っています。(使徒の働き1章11節)そして再臨への備えとして、有名な10人の乙女やタラントの譬話があるのです。そして再臨とは、私たちにとっては、精算の時となります。マタイ25章32節からの譬話には、今日語った、「生ける者と死にたる者とを審く」ということが書かれています。

初代教会の人々の祈りは「主よ来たりませ(マラナタ)」(Ⅰコリント16章22節)でした。教会はその歴史の中で、常に「主よ来たりませ」と祈ってきました。再臨を待ち望むという生き方は、クリスチャンの生き方の重要な一つです。

私たちの属するホーリネス教団は、四重の福音と言って、新生、聖化、神癒、再臨の4つを強調してきました。もちろん福音は4つだけではありませんが、再臨を福音として理解をしてきたのです。つまり主を信じて、神の裁きから免れた私たちにとって、再臨とは福音なのです。

これまで「私は再臨のキリスト」だと名乗った者は数え切れません。もちろん全て偽者です。そして再臨の日は誰も知らないのです。私たちの生き方は、再臨を待ち望む生き方なのです。

関牧師



2010年11月22日

ホノルル・キリスト教会、リニューアル2010

昨日、ホノルル教会で行われた日英合同礼拝で流されたリニューアルの歩みです。


2010年11月11日

11月14日2010年の週報に掲載

11月15日、日本では七五三です。私も昔は千歳飴をもらったのを覚えています。七五三は、七歳、五歳、三歳の節目のお祝いです。地域によっては、女子が三歳と七歳、男子が五歳と分かれていることもあるようです。

時は、平安時代にまで遡りますが、当時は三歳までは丸坊主で髪の毛を剃っていたそうです。その方が黒々とした良い髪の毛が生えると考えられていました。その子供が三歳になって髪の毛を伸ばし始めることから、それを節目として三歳のお祝いがはじまったそうです。

もちろん神社でお祝いしますので、宗教的な要素もありますが、もともとは子供の成長を喜び願うところから始まったものです。特に子供の体力や病気への抵抗力を考えて、三歳まで無事に育ってくれれば、という切実な思いの中で、三歳を迎えることの出来た感謝の時でもあります。

教会でも、この日本の文化習慣を取り入れて、毎年11月に子供祝福式を持っています。歳は七五三に限りません。子供なら誰でもというわけです。日本からのニュースを聞くたびに、時代は決して子供が安心して成長していける状況ではありません。だからこそ、教会では、子供たちに祝福を祈りたいのです。あなたは愛されるために生まれ、愛するために生かされている。あなたの存在には最高の価値があり、存在そのものが喜びであることを。ご一緒に、心を込めて、子供たちの祝福を祈りましょう。

関牧師



2010年11月5日

11月7日2010年の週報に掲載

成田に到着して、そのまま新幹線で岡山へ。色とりどりの駅弁を楽しんで8:30PM頃に岡山駅に到着。そのままれいのお父さんに回転寿司をご馳走になりました。ハワイ時間の午前2時頃になります。そこから始まって、胃薬を片手に食べに食べて、おかげで会う人ごとに丸くなったと言われています。ハワイに戻ってさっそくジムに行って汗を流しましたが、元に戻るまでには時間がかかりそうです。

岡山ではれいのお母さんの納骨式を済ませることが出来ました。工藤弘雄先生の司式のもと、家族がれいの帰郷を待っていてくれました。福島では私の父の召天一周年の集まりをお墓の前で持ちました。それぞれの家族、兄弟、そして子供たちは従兄弟たちとの再会を楽しみました。

下の二人は、念願のコンビにでお気に入りのアイスやスナックを買って大満足です。上の二人は夢にまで見た原宿でショッピング。私がかつて原宿で踊っていたと言っても、あまり想像が出来ないようです。懐かしい友達に会ったり、以前牧会していた教会の方々と再会を楽しんだり、充実した日々を過ごしました。私の母も、万座温泉に一緒にいくことが出来ました。

そして、いよいよ宣教チームへ合流しましたが、まさか自分が温泉旅館でフラを踊るとは! 人生は分からないものです。

関師





2010年10月29日

10月31日2010年の週報に掲載

車を運転していたら「やさしい悪魔」とかいう音楽が、ラジオを通して流れてきた。 私はこれを聞いてエッと思った。 歌詞の内容は最後まで聞いていなかったけれど、これって一体何なのだろうかと考えてしまった。

悪魔は悪魔なのです。 悪魔に「やさしい悪魔」とか「怖い悪魔」とかいう事は決してないのです。 もしあるとしたら、自分の心が悪魔の方に向いているのかどうかという事ではないでしょうか。 自分の心が悪魔の方に向いている時、悪魔はもっとやれ、どんどんやれと悪い心の味方になります。

しかし、私たちの心が正しく生きようとした時に、悪魔は正しく生きられないように必死になって攻撃してきます。 まるで正しく生きない方が楽みたいに、、 それが悪魔なのです。

聖書は誘惑は避けれないと書いています。その時に私たちに選択権が与えられます。 悪く生きるも、正しく生きるも自分でしっかりとそこを考えて選択するようにしましょう。

イエス・キリストは正しく生きるようにと十字架の見本を見せてくださいました。 ここに本当の愛があります。 私自身、悪魔が私の前に立ち上がったらきっと怖くなって逃げ出す者です。

しかし、イエスさまの十字架を恵みを思う時に、ちょっと十字架の苦しみをちょっと味わってもいいかなと思うアホな者です。 自分でもバカだねと思います。 イエス様こんな者をお救いください。
イエスさまの名によって祈ります。

松田従旨



2010年10月24日

10月24日2010年の週報に掲載

8月の初旬、ハーベストタイムUSAの中川洋先生がハワイに立ち寄られセミナーを開いてくださった時、「本気で神様のみ顔を求めよう!」という神様からのチャレンジをいただいた。
賛美する世界と礼拝する世界の違い、賛美とは神様をほめ賛える世界、礼拝とは私の応答が問われる世界であると教えていただいた。神様の恵みに応答していく力は神様を本気で求めていくことから与えられると教えられた。
その力をいただきたい、そう思って、今まで朝食の後に持っていたデボーションの時間を30分早起きして朝食前に持つことにした。朝早く暗いうちに山に登り父なる神様との交わりを持たれたイエス様の御姿を思いながら天のお父様の御前に出ると、もうそれだけで心は満たされていく。聖書を開き、みことばを読み、黙想し、祈る。想像を超えた恵みの世界に神様は導いてくださる。自分の経験、能力、知恵、植えつけられた固定観念など、何と有限の世界に私は閉じ込められていることか、そしてそれが真理を曇らせていることかを神様は教えてくださる。

無から有を創造される神様の力を本気で信じていく時、神様の無限の恵みの世界がそこに広がっていく。
その恵みに与る道をイエス様が開いてくださった。その御愛に感動し感謝が溢れてくる。そうした神様との交わりの中で日々新しい発見があり、解放されていく自分がある。
「安心して行きなさい。」神様の御声に励まされ、神様への信頼と平安と喜びに満たされて、外の世界へ心を開いて歩み出す1日が始まる。
神様の恵みに応答する力は神様との交わりを通して日々神様が与えてくださることを実感している。

伊藤 明子



2010年10月14日

10月17日2010年の週報に掲載

 近くの教会でブックセールがあり、かすかな期待をもって出かけました。ほとんどが英語の本ですが、日本語の本も十数冊ありました。その中から自叙伝と歌集の3冊を求めました。著者はクリスチャンの女性たちです。

 フレイタス絹江さんの歌集の表紙の裏に、墨で「遠田あやめ」とあり、胸をつかれました。ご家族が遠田さんの遺品を教会に寄付されたのです。遠田さんはホノルル教会の昔からの信徒で、晩年はご家族と共に米本土で過ごされました。
いつも笑顔で「アイラブユー」と挨拶される方でした。また祝会では詩吟を朗々と披露されました。そんな彼女が歌人であったことを知る人も、少なくなりました。

 教会の宝である信仰の友が、高齢や病のために天に召され、本当に淋しくなりました。 また、ケアホーム、ナーシングホームに移られました。お一人になり、ご家族のもとに引っ越されたり、住まいを郊外に移された方もいて、なかなかお会いできません。
80歳以上の方をお祝いする「敬老の祝賀会」も、お祝いを受ける参加者が少なかったです。 祝会は大いに盛りあがりましたが、人生の幾多の苦難を乗り越え、信仰の馳せ場を忠実に歩んでおられるシニアのお一人、お一人に、神の恵みと平安がありますように。

カラマ正子



2010年10月7日

10月10日2010年の週報に掲載

最近、雨が降って気温が下がりこれから冬を迎えるのかなと思っていましたが、とんでもありません。再び太陽がサンサンと照り輝いて夏日に逆戻りしたようです。

私は先日、私用でオアフ島の中央にあるワイパフへ行ってきました。 そのついでに周辺地域、エバビーチ、カポレイと回ってきました。 その昔、サトウキビ畑だった所が今、どんどんと住宅地に変わっています。 たくさんの家を建てる事が出来る土地があり、将来性があります。 その周辺には、大きなショッピングセンターが建ち、これからの開発に期待できそうです。 その中のショッピングセンターの一画を利用して、ニューホープという大きな教会が建っていました。 現在は合計で3000名ぐらいの人達が5回の礼拝に来られておられるそうです。 ただ、日語ミニストリーが無いそうで、必要性を感じました。

そこから、1キロも離れていない所に私たちの姉妹教会、ウェストオアフ教会があります。 ぜひ日本語ミニストリーを広げて欲しいと思っています。

エバビーチには、古い町並みがありますが、その古い町並みのすぐ隣りに新しく開発された広い住宅地があります。 私はその中間の道に立って不思議な感じを覚えました。 道を隔てて、新しい住宅地と古い住宅地が存在しているのです。 何年も立つとその隔てが無くなるのでしょうか? それともこのまま別々の住宅地がそのまま存在し続けるのでしょうか?

古い町並みが新しくなるには、大きなチャレンジがあるような気がします。 古いものと新しいものとの違いと調和、私もイエス様によって調和の中を生きたいと思うこの頃です。

松田従旨



2010年9月30日

10月3日2010年の週報に掲載

礼拝で「使徒信条」の連続メッセージをしています。一言、一言に重みがあります。今日は「陰府にくだり」ですが、同じ「よみ」でも「黄泉」という漢字もあります。口語訳では「黄泉」、新改訳は原語のまま「ハデス」、新共同訳は「陰府」となっています。「黄泉」は、日本神話から出てきた言葉で、地下の泉という意味から、地下にある死者の世界を現す言葉になったそうです。「黄泉」では、聖書の現す「ハデス」を充分に表現できないので、「陰府」と現在ではなっています。

「陰府」と「地獄」(ゲヘナ)とは違います。陰府とは、最後の審判を受ける前の待機所みたいな所のようです。地上でイエスを信じた者は天国へ、そうでない者は最後の審判の時まで陰府で待機するということです。

この陰府において、イエスを信じるチャンスがもう一度あるという説と、それはないという説の二つがあります。これを「セカンドチャンス」と言いますが、それがあるのか、ないのか?

聖書は、基本的には今生きている私たちが、この地上でイエスを信じるかどうかに焦点が当てられているので、セカンドチャンスについては断定できる聖書的根拠は充分ではありません。しかし、福音を聴くことなく亡くなった方や、幼子たちを考えると、そこに神の恵みがあって当然と思います。            

関牧師



2010年9月23日

9月26日2010年の週報に掲載

連日のように報道されていた日本の暑さも峠を越えて、秋の気配がしてきたようです。ここハワイでも、なとなく秋の気配がしてきました。ハワイ生活5年半で、微妙な季節の変化も分かるようになってきました。

その季節の変化を感じさせてくれるのが風の匂いです。皆さんはどうなんでしょうか? 私の場合は風の匂いにとても敏感です。そして風の中に、様々な風景が浮かんできます。ほとんどが子供の頃の風景なのですが、友達と真っ黒になるまで遊んで、家に帰る途中の夕暮れ時の風景、夏祭りの終わった夜道で感じた秋の訪れ…。

日本にいた時には、そうでもなかったのですが、ハワイに来てから、風の中にとても懐かしさを感じたり、風景が浮かんだりするのです。とにかくハワイの風が大好きです。しかもフリーです。まさに神の恵みです。

神の聖霊は風に譬えられますが、その時、その時に吹く聖霊の風も私たちの心に語りかけてくださいます。そして天の父の懐へと私たちを導いてくださいます。

さて、また一ヶ月ほど、教会を留守にします。その間、どのような賜物が新たに発見され、教会がキリストの体として成長するか楽しみです。聖霊の吹くままに全てを任せていきます。

関牧師



2010年9月17日

9月19日2010年の週報に掲載

とうとうやられてしまいました。車上荒らしです。話にはよく聞きますが、自分が経験したのは初めてです。しかもドンキの駐車場でした。運転席のカラスを破られて中にあった喜歌のバッグと光輝のスクールバッグが取られました。喜歌は若干の現金とお気に入りのバッグ、ギフトカードなど、光輝は宿題です。最初はしょげていた光輝も、これで今日は宿題をやらなくていいと分かると途端に元気になったそうです。

でも、帰りの車の中は、賛美の大合唱になりました。これも大いなる祝福の前触れと分かるからです。そしてバッグは奪われても、「あなたがの喜びを奪い去るものはない」ヨハネ16:22 と約束されているからです。

さて、話は変わりますが、中村裕二先生が待望のCDをリリースしました。ガンとの闘病の中で「天から賛美が降ってくる」という経験をされ、生み出された12曲の賛美です。聖歌、讃美歌に収められている賛美の多くは、苦難の中から生まれたものばかりです。だからこそ、主の臨在が鮮やかにされるのでしょう。そして多くの苦難にある方々を賛美を通して主の臨在の中に導き入れるのでしょう。

どんな中になって、決して奪い去られないものがあります。それは喜びです。なぜなら主の恵みは、そこにもあるからです。『聖霊の風が』の賛美が、豊かに用いられますように祈ります。

関牧師



2010年9月8日

9月12日2010年の週報に掲載

ホノルル発 日本宣教旅行が近づいてきました。 宣教の業は、教会の業です。 その意味では、実際に日本に行かれない方々も、宣教チームの一員です。 教会が自体が宣教チームです。 どうぞ、この宣教の業に祈りをもって参加してください。

私たちは、キリストの体の一器官ですから、それぞれに尊い主の働きが委ねられています。 目立つもの、目立たないもの、伝道的なもの、教育的なもの、教会内のこと、教会の外での活動、実に様々です。
働きの内容は多様性がありますが、目的は一つ、キリストの福音を伝え、キリストの栄光を現すことです。

最近、また新たに学生向けのバイブル・スタディも始まり、また高齢者ミニストリーも始まります。 祈りのミニストリーは現在進行中です。

「あなたがたは光のある間に、光の子供となるために、光を信じなさい。」 (ヨハネ12;36)

福音を伝えるという宣教の期間は、無限ではありません。 福音を語ることの出来る期間は限られているのです。 主の再臨の時まで、そして私自身の地上での生涯の時までです。 どちらが先かは分かりませんが、いずれにしても限りがあるのです。 だからこそ、私たちは語ることの出来る「今」この時に語るのです。

関牧師



2010年9月3日

9月5日2010年の週報に掲載

私たちの天の父は、本当に単純な、幼子の祈りに応えてくださる方です。

このたび、10月に残り一ヶ月のサバティカルを取得する予定で、その期間に宣教チームとして日本に行くことも入っていました。私はどうしても、家族も日本に連れていってあげたいと思っていましたが、家族6人となるとさすがに無理だと半ば諦めていました。

そんなある日の夕食時、とにかく神様にはっきり祈ろうということになって、家族みんなで「どうか家族全員で日本に行けるようにしてください!」と祈りました。
その数日後、ミラクルが起こって日本に行ける道が開かれ、続いてミラクルが重なって、あれよあれよという間に日本に行けることになりました。 10月4日~25日 私は途中で宣教チームに合流したりしますが、れいのお母さんのん納骨、私の父の一周年などがあります。

私以外は5年ぶりの日本とあって、かなりの興奮状態にあります。特に光輝は一年前から、朝に夕に日本行きを祈っていて、えっ?と思うくらいに捧げたりして、彼にとって祈りに応えてくださる神を体験した良い機会であったろうと思います。

私たちての天の父は、神の子供たちの祈りに必ず応えてくださいます。 祈った通りにならなければ、それが神からの応えです。 だからこそ安心して何でも求めることが出来ます。 大胆に祈りましょう。

関牧師




2010年8月31日

8月29日2010年の週報に掲載

ジョシーこと、石原良人師が天に召されました。 58歳でした。 肺がんで…と普通は言いますが、人は神の時が来なければ死ぬことは出来ません。 肺がんで死んだのではなく、神の時が来たので神のもとに召されたのです。 ジョシーは闘病に負けたのではありません、今や神の栄冠を頂いて天に勝利の凱旋をしたのです。

ジョシーの言葉「俺は幸せ者だよ! イエスが全て、イエスが宝、イエスで充分だ!」人間的な力が弱り、取り去られていく中で、最も大切なものは決してなくならない、いや最も大切なものが何かに気づかされるのだと思います。

日本の教会にとって、セルチャーチの普及において大きな貢献をなし、最近ではひきこもりの若者たちの霊的父として、一般社会の中にも活躍の場を拡げていました。 ホノルル教会にも3回来られて、その度にセミナーなどを持ってもらいました。 私自身も大きな影響を彼から受けました。ジョシーの功績は日本の教会に留まらずにアジアの教会リーダーたちにも及んでいました。

しかし、ジョシーが一番喜んでいたことは、功績や名誉などではない、イエスを知ったこと、これに比べたら全てが塵あくたのようだと、まさにパウロの心境と同じです。 最も脂の乗った活躍の時に、天に召されました。 しかし最後に「俺は幸せ者だ」とジョシーに言わせた神の恵みは、私たちの常識を超えて素晴らしいのです。

ジョシーのサイトはココをクリック

関牧師



8月22日2010年の週報に掲載

今日は「心に光を」講壇交換です。一年に一度のこのイベント、他教会の牧師のメッセージを聴けるのも楽しみの一つです。 今年はカリヒユニオン教会から、日本で長年に亘って宣教師をされていた鈴木洋吉先生をお迎えしています。

「心に光を」放送、AMラジオKZOO1210 月~金 2:45PM~
この放送が始まって今年で28年目を迎え、KZOO放送の中でも最も長寿番組となりました。

とにもかくにも、ハワイではラジオKZOOを聴いておられる方が大変に多いということです。 これはハワイならではの特色だと思います。 日本でも福音のラジオ放送は行われていますし、それで救われた方もいます。 でも普段の生活の中で、その放送を聴いているという人には会ったことがありません。

しかしハワイでは、実に多くの方がKZOOを聴いておられます。 ということは、これだけの多くの方に確実に福音を届けることが出来るということです。 しかも週5日、午後の良い時間帯です。こんな状況は、日本で伝道していた者にとっては夢のような話です。

これからも「心に光を」放送を続けていきたいと思います。 そのためにお祈りください。 そしてこれからも献金をもって支えてください。 放送のごとに、確実に誰かの耳に福音が届けられているという事実、これこそ最も価値あることです。


関牧師






2010年8月14日

8月8日2010年の週報に掲載

とうとう庭のバナナが黄色く熟し始めました。 完熟のバナナは本当に美味しいですね。 ハワイならではの恵みです。

 先回から「使徒信条」を礼拝メッセージとして連続で語っています。 今日は「天地の造り主を信じる」というテーマです。考えれば考えるほど壮大なことです。神がこの天地万物を造られたことを信じるのですから。しかもそれを「信じています」と告白するのです。

 天地の造り主なる神があなたの神となる。この真理が、今の自分にとってどれほどの意味があるのか? 「ああそうなんだ」で終わってはあまりにももったいない話です。

「鰯の頭も信心から」と言いますが、信仰の対象が何であれ、信じる心が大事なんだと、鰯の頭であろうと、石ころであろうと、信心すれば…、という考え方もあります。 でも聖書が述べる信仰とは、何を信じているのかを明確にします。 私たちは天地の造り主を信じているのです。

「困った時の神頼み」という言葉もあります。 困った時に、頼る相手が鰯の頭では何とも頼りになりません。 私たちが頼るのは「天地を造られた神」なのです。 この一週間、どうぞ黙想してみてください。 
自分の信じている神は、天地を造られた神だということを。 それが心の底から分かったら、どれだけの安心感があるだろうか? この信仰告白の力を体験させていただきましょう。

関牧師





2010年8月12日

8月15日2010年の週報に掲載

8月15日。私たちにとって特別な日です。 日本における第二次世界大戦の終戦記念日です。 1945年8月14日ポツダム宣言受諾。 翌15日、天皇陛下による玉音放送がありました。戦後65年が経ちました。 世界では変わらずに戦争という、人が人を殺すことが合法化され、称賛されるという異常な行為が続いてます。

私が子供の頃、母はよく東京大空襲の話しをしてくれました。 母がいたのは東京の両国という、まさに空襲の中心地であったそうです。 多くの人々は学校に逃げ込みました。 先に中に入った人たちは、後から逃げて来る者たちが入れないように、鉄の門に錠をかけたそうです。 学校の中も一杯だったのです。 しかし、安全と思った学校内は、火の蒸し焼き状態となり、今度は学校の外へ逃げようとしましたが、自らかけた錠が熱で真っ赤になっており、門を開けることが出来なかったということです。 その学校の門に行ったことがあります。 門の内側には死体が黒山になっていたそうです。 私の母の家族は、学校ではなく駅に逃げました。 両国の駅です。 そこで九死に一生を得たということです。

ハワイの真珠湾、ここから悲劇が始まりました。 西欧と東洋の中心にあり、ここを叩けば世界を征服できると思ったのでしょうか? しかし今、私たちは祈ります。 ここハワイから世界に福音を伝えることを。 このキリストの愛と平和がここから東に西に拡がることを。

関牧師



2010年7月31日

8月1日2010年の週報に掲載

私自身のサバティカルも終わり、夏休みで里帰りしたり、旅行に出ていた方々も戻られて、何だかとても嬉しい気持ちで一杯です。皆さんのお顔を見ながら、帰るべき所に帰ってきたという「ただいま」という気持ちです。

わずか一ヶ月だけ、されど一ヶ月も教会を留守にすることは、とてもチャレンジングな事でしたが、私自身にとっても、教会にとって必要な成長のプロセスだったと思います。

牧会者として、いかに自分が頑張るかよりも、いかに聖霊に自由に働いていただくかが大切なことだと、そのためには、いかにそれぞれの人格が尊重され、励まされ、期待されていくか。自分が余計な手を出さないで、任せれば任せるほど聖霊の働きは豊かになる、そんなことを思わされています。

この礼拝から「使徒信条」の連続メッセージを始めていきます。どうぞお祈りください。約2千年間の教会の歴史の中で、守られ、常に告白されてきた信仰告白です。最も古く、しかし最も新しいものです。
ありとあらゆる情報が洪水のように押し寄せる時代です。自分が何を信じているのかをしっかりと確認していきたいと思います。それによって、どんな中にあっても決して揺り動かされない、確固とした信仰を築くことができるでしょう。

ご一緒に使徒信条の旅へ出発しましょう。

関牧師




2010年7月24日

7月25日2010年の週報に掲載

最近、坂本竜馬ブームで私もテレビを見て楽しんでいます。しかし、その時代の事を良く考えてみるとそれ程昔ではなかったのです。今から143年前に生きておられたのです。

そう考えるとだいぶ以前のような気がしますが、私の祖父母は大正生まれで(第二次世界大戦経験者)、私の祖父母は明治生まれで(第一次世界大戦経験者)、曾祖父母は(明治維新経験者)それに私は祖母と一緒に生きた者ですから、あまり遠くの世界で無いような気がします。
その時代はサムライの時代で自由が無くて束縛の時代、それが今は自分で生き方を選択して自由に生きられるようになったのです。 その時代に藩を脱藩して死を覚悟して生きた坂本竜馬。

それに比べると私たちは好きな国に行く事も出来ますし、自由に生き、職業を自由選択できますし、宗教も自由です。 今の自由を自分中心に生きるのでなくて、坂本竜馬のように社会や人の為に生きる大切さを教えておられるのではないでしょうか?

今の世の中人々は失望し、本当の生きる目的を探されているのではないでしょか? 
天と地を造られた神さまは世界の歴史を決められます。 またイエス様の愛する教会には真実があります。
もしかしたら、あなたが今の坂本竜馬かもしれません。 祈っています。 


松田従旨





2010年7月15日

7月18日2010年の週報に掲載

人生いろいろ

日本の演歌に「人生いろいろ」というのがあります。 まことに人生は色々です。
なぜ人生色々なのでしょうか。 同じ太陽、同じ空気、同じ家に同じ親から生まれても、人生色々です。

たぶん人の個性の違いから来ていると私は思います。 同じものを見ても、同じ問題が起きても、人によって、それぞれ感じ方が違います。 感じ方が違えば対応が変わります。 その対応の仕方によって、物事が変わってきます。 だから人生は色々なのではないでしょうか。

個性はその人のものですから、変える事は出来ません。 楽しい人生を送ろうと考えるのならば、正しいものの見方が必要です。 それにはまず、今ある自分の現実、事実を正しく認める事だと思います。

人は時として認めたくないものです。 しかし、人は現実、事実の上に立っているのです。 その土台である事実を無視して、次を見ようとします。 現実無視、土台のない家は倒れます。

石井真澄



2010年7月10日

7月11日2010年の週報に掲載

先週の主日礼拝では、IJCCより中林義郎先生をお迎えし、大変恵まれた時を持つ事が出来ました。ビジネスで大成功を収め、お金儲けにしか興味が無かった人生から、イエス キリストの愛に生きる人生に変えられたというのです。
「妻の祈りがあったからこそ、私は変えられたのです。」と力強く証されていました。まさに男心にグッと迫るものがありました。

「あなたは女心を理解する事ができますか?」という質問に私だったら何と答えるだろうか。もちろん声を大にして「NO」日本に住んでいる私のフィアンセは日本での仕事が忙しく、ハワイ移住の目処がまったく立っていなく、かなり落ち込んでいた時期がありました。「よし、ここはひとつ彼女を喜ばせて上げよう。」と奮い立ち、「君が仕事を辞めて、ハワイに来れるまで僕は10年でも20年でも待ってるよ」と言ったことがありました。話し終えた後、しばらく2人の間に沈黙が流れました。「やった、彼女は声も出せないほど感動している、俺はなんて優しくて、男らしくて、かっこいい奴なんだろう」と大きな勘違いをしていました。後日、関牧師にその件でご相談したところ、「それは縁があったらまた会いましょう」と言っているのと同じだよ。と一喝され、すぐお相手の方に電話でお詫びをしました。その際「あの一言を聞いた時は、本当に寂しかった」とポツリ!言われました。

もしこの世の男性人が全ての女性心理を理解することが出来れば、世界で起きている問題の半分は解決できるのではないでしょうか。また、「女心」を理解する方法を発明、発見した人にはノーベル平和賞が与えられるでしょう。などと自問自答しながら、神様の要求する男らしさとは何か?を考えさせられます。
「男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい」テモテ 2:8「心と手の清さ」主の御前に自らの罪を言い表し、悔い改め、祈る姿こそ男らしい姿ではないでしょうか。

角田 利光




2010年7月2日

7月4日2010年の週報に掲載

関牧師はサバチカル休暇で約一ヶ月間、教会をお休みになられます。 私たちの教会で、このように長い期間、牧師不在だったことは私の記憶にはありません。
これからホノルル教会が、どのように主に用いられるかどうかは、これから一人一人と神さまとの関係になります。

さてアメリカはもうじき独立記念日、しかし、ここハワイはあまり明るくないニュースから始まりました。 この夏から値上げラッシュです。(ガソリン税、バス賃、水道代、不動産税、煙草税などたくさん)ハワイの人は誰でも同じ苦労を味わいます。

そのような中、ハワイ聖会が行なわれ、その恵みを忘れないうちに、次のステップへ進もうとしています。 これを神の恵みというのでしょう。 中道牧師のメッセージに荒野に神さまが色々なみ業を行って下さったというのです。
今にも荒野の中に倒れそうでフラフラ、その中で倒れても仕方が無いような私達を、神さまは一方的に愛してくださり、生きる力を与えてくださるというのです。一体どのような形で? 知りたいと思いませんか?

一体私が何者で、あなたが何者だから神さまは一方的に愛を持って下さっているのでしょうか? この質問をしっかりと噛み締めたいと思います。

松田従旨



2010年6月28日

6月27日2010年の週報に掲載

ハワイ聖会、講師に中道善次牧師をお迎えして、恵まれた時を持っていることでしょう。さて私は、サバティカルのためにしばらく皆さんとお会い出来なくなります。と言っても狭い島ですから、コーヒーショップかどこかでお会いすることはあると思いますが…、そんな時は、ニッコリご挨拶ください。

自分でも、とても不思議な気分で、今まで、こんな長期に教会から離れることはありませんでしたから。 でも、これも主の恵みだと思います。 本当の意味で、教会は主のものであることを実感する良い機会だと思っています。

さて、この7、8月の2ヶ月間、和歌山県のエバグリーンファミリー教会の牧師をされている、入江文彦師、寛子夫人と三人の子供のファミリーが、牧会研修のためにホノルル教会へ来られます。 共に礼拝を捧げながら、共に学び合っていきたいと思います。 どうぞお祈りください。

今、私は、あなたがたを神とのその恵みの御言葉に委ねます。
                            (使徒の働き20:32)

教会の主はキリストであり、主は御言葉をもって私たちを導いてくださることに信頼しています。 私も教会のために祈ります。 どうぞ私のために、そして家族のためにお祈りください。
それでは行ってまいります。

関牧師



2010年6月19日

6月20日2010年の週報に掲載

教会という所は、本当に人生の縮図ですね。まさにゆり籠から棺おけまでですが、正確には誕生前から神の栄冠まで、ということです。

その過程にある、人生の一こま一こまに、主の恵みがあります。肥田兄の葬儀で『数えてみよ主の恵み』を賛美しました。皆さんは、これまでの人生を振り返って、神の恵みをいくつ数えることが出来ますか? きっと、いくら時間があっても足りないくらいですね。私たちの人生には、神の恵みが満ち溢れています。

さて、この土日は、ハワイ聖会です。このような聖会と呼ばれる集会も、私たちの人生の大切な一こまになります。あの時に、あそこで、「この恵みを得た」という体験は、一生を支えることになります。ベビーシッターも用意されていますので、是非ご参加ください。

講師の中道善次師は、この聖会のために日本から来られます。祈りに祈って備えてくださっています。神奈川県の茅ヶ崎教会で牧会をされていますが、油の乗り切った、と言っても脂肪ではなく、聖霊の油注ぎに満ちた器です。どうぞ大いにご期待ください。

ホノルル教会は、恵みに溢れて前進します。人が主イエスに出会うことの出来る教会、救いを体験でできる教会、確かに人が変えられる教会、主の十字架のもとで、愛し合い、赦し合う教会です。

どうぞ聖なる飢え渇きをもって、主の恵みを求めて、聖会に集まりましょう。              

関牧師

2010年6月11日

6月13日2010年の週報に掲載

今日は、年に一度の教会総会の日です。私たちは、不思議な神のご計画により、数ある教会の中から、このホノルル教会に導かれました。

私も、まさか自分がホノルル教会の牧師になるとは、夢にも思ったことはありませんでした。23年前に観光でホノルルに来た時に、当時中野先生が住んでいた牧師館にお邪魔しているのですが、自分が今そこに住んでいるとは…。

なぜホノルル教会が? 今この時代に、この場所に存在しているのか? そして、集まっている人々は、なぜ今、ここに集まっているのか? なぜ20年前でも、20年後でもなく、今なのか? その全てに、意味と目的があります。

個人個人の人生で考えると、今ここで救われ、癒され、満たされるという恵みを経験するためです。しかし、その個人が集められて教会となる時に、そこに見出される意味は、今ここでキリストを証するために、ということになります。

教会とは、実に様々な人々が、限りなく集まるところです。そこで起こる全ての出来事は、私たちがキリストを証するためのものです。それは、何の問題もないということではありません。起こった問題に対して、どのように考え、どのように乗り越えるのか、そこでキリストが証されるのです。

今この時に、私たちが集められ、ホノルル教会が存在していることの意味を想い、今一度、使命を確認していきましょう。

関牧師



2010年6月7日

虹組(主の手の中)

先日行なわれた賛美フェスティバルの中の一つ、虹組の賛美の様子を見れます。
ハワイにある色々な教会メンバーが参加なされています。

虹組 (Hallelujah You're Worthy)

先日行なわれた賛美フェスティバルの中の一つ、虹組の賛美の様子を見れます。

2010年6月3日

6月6日2010年の週報に掲載

牧師館の庭のバナナの木に、なんと3房も見事な実が結ばれています。熟すのが待ち遠しいです。鳥たちも、同じ気持ちでいるに違いありません。ここは鳥との勝負ですね。

我が家に、「ちょこ」が来ました。子供のサッカーの練習場に、捨てられていました。生後4,5ヶ月くらいの雑種です。前回のラキを飼うのが大変で、もう当分は犬は買えないと思っていたのですが、何度も家族会議が開かれ、子供たちの決意表明を聞きながら、もう一度、犬を飼うことにチャレンジしてみようと思いました。
名前は、いつも ちょこちょこ しているので「ちょこ」になりました。本当に可愛いです。今一生懸命にトレーニングをしているところです。

さて、話は変わりますが、6月26、27日とハワイ聖会が開催されます。今回は神奈川県の茅ヶ崎教会から中道善次師を講師として迎えています。この機会をどうぞ活かして用いてください。この一時が、一生を支える恵みの体験となるかもしれません。
聖会とは、特別に聖別された会ということで、いつも以上に、主を求め、主に近づくための集会です。都合がついたらではなくて、都合をつけて是非ご参加ください。

バナナではありませんが、熟した魂が、サタンに取られる前に、主に捧げることが出来るように、この機会を活かしてください。


関牧師





2010年5月26日

5月30日2010年の週報に掲載

まさに聖徒の凱旋にふさわしい召天でありました。肥田末雄兄は、5月23日午後、主の御許に召されました。92歳でした。

前日の午前中、幾人かの兄弟姉妹と共に病床へ行きました。すでに意識はなく、耳元で呼びかけても反応はありませんでした。枕辺で讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りを捧げました。主の時はすでに来ていることを感じさせました。

その日の午後、教会の姉妹たちが訪問されました。そこでドラマは起こりました。耳元で呼びかける姉妹の声に「ハーイ」と返事をされ、賛美に「ハレルヤ!」と大きな声で応えたというのです。何度もハレルヤ!を繰り返されたそうです。

ついさっきまでの状態を見ていた私は、その話を聴いて本当に驚きました。そして主を賛美しました。地上での最後を、「ハレルヤ!」で終えることが出来る、これほどの祝福はありません。

そして翌日の主の復活された日に、主の御許にお帰りになりました。

肥田末雄兄は、1918年ハワイ島コナで生まれ、十歳から戦後までを広島で過ごします。そして戦後帰米二世として1961年に家族5人でハワイに移住されました。1984年にホノルル教会へ導かれ、なが子夫人と共に洗礼を受けられました。

私たちも、末雄兄の信仰の遺産を受け継いで、ハレルヤ! に向かって歩んでまいりましょう。      

関牧師



2010年5月20日

5月23日2010年の週報に掲載

カネオヘにあるホオマルヒヤ植物園で、70年に一度だけ花を咲かせる木が開花していると聴いてさっそく見に行きました。

大きな椰子の木の種類だと思いますが、上の方に見事に花が咲いていました。何だかものすごい存在感のある木でした。70年に一度ということで、もう二度とこの花を見ることないと思うと感慨も深まりました。後で気がついたことは、この種類の木は一本だけではないので、また見れるということでしたが、それでもこの木に関しては、これまでです。そしてこの木は花を咲かせて、その寿命となり、枯れてしまうということです。

この木に、もし意志があったら何と言っているのかな? と想像しました。今までは、沢山の木の中の一つで、とりわけ注目されることもありませんでした。しかし、木生?の最後に見事な花を咲かせ、今や大勢の人がわざわざ自分を見に来てくれる。木は嬉しいのだろうか? 「最後に一花さかせたぞ!」と喜んでいるのだろうか? 

それとも、「自分は何も変わっていない、昔からここにいたよ。皆が自分の花を見て喜んでくれるのはいいけど、僕は僕のまま、昔からここにいたよ」と言っているのかな?

皆さんは、どう思いますか? 木になったつもりで今の心境を語ってみましょう。

関牧師


2010年5月15日

5月16日2010年の週報に掲載

ホノルル教会に来てビックリしたのは、毎週の礼拝にゲストの方が来られることです。日本の教会では、そんなにめったに新しい方が来られることはありませんから。

ゲストの方は、観光客の方、短期、長期滞在の方、現地に住んでいる方、様々です。中には日本では教会に行っていない、これが初めての礼拝出席です、と言われる方も多くいます。そんな方々が、ハワイに滞在している間は、ホノルル教会の礼拝に出席してくださいます。何かを感じ取ってくださっているのだと思います。

それをきっかけに、日本でも教会に行き始めた方々も数え切れず、また洗礼にまで導かれた方もいます。先日も、ホノルル教会での出会いがきっかけで、日本で教会に行き始めているというメールをいただきました。本当に嬉しくて、主を賛美しました。

「人生は出会いで決まる」と言われますが、本当にそのように思います。かつて、戦争の口火を切ったこのハワイの地が、今度は人々に救いをもたらす福音の基地として用いられていきますように。ハワイに来られる方が、心も身体も魂も癒されて、満たされて、新しい歩みがここから始まっていきますように。ホノルル教会が、そのようなキリストとの出会いの場として用いられていきますように。

私たちが心から捧げている毎日曜日の礼拝の中で、様々な出会いのドラマが起こっているのです。主を賛美します!

関牧師



2010年5月7日

5月9日2010年の週報に掲載

私たちは、この母の日を、大きく分けて二つの立場で迎えていると思います。母のとして、また母の子供として。私は男性ですから、母の日というと当然、母の子供としての自分を意識します。

皆さんは、どのような気持ちで、この母の日を迎えているでしょうか? 心から「お母さんありがとう」と言える人は、とても幸いな人です。日本からは相変わらず信じ難いニュースが続きます。母の日をハッピーな気持ちで迎えることが出来るということは、それだけでとても幸せなことなのだと思います。

私は、幼い頃から、母に認められたいという思いを強く持っていました。兄よりも弟よりも、自分を認めて欲しい、賞賛してほしいと。でも、それが充分に満たされることはありませんでした。

自分を認めてくれる何かを探し求める心の旅、それは母親探しと呼ばれていますが、私もその旅をしていました。それを母に求めたり、他人に求めたり、しかし、心の空洞は決して埋まることはありませんでした。

先の3月に、母がハワイに来ることが出来ました。母も今年で喜寿になります。心の旅を終え、父なる神の無限の愛で満たされた今、母を一人の神に選ばれた私の母として接することが出来ました。私たちを本当に満たしてくれるもの、それは父なる神の愛です。この愛に満たされる時、果てしなき旅は終わり、満たされた人生へ変えられるのです。

関牧師


2010年4月29日

5月2日2010年の週報に掲載

先日のこと、ひょんなことから私の小学、中学、高校の成績表が子供たちに発見されてしまいました。おそるおそる自分でも見てみると、記憶している事と違ったことがあったり、興味深い発見があったり、色々考えさせられました。

高校時代の成績や遅刻、欠席の惨状は、とても子供に見せられるものではありません。2年生の成績はクラス46人中46番目と書いてありました。特に英語が一番ひどかったものです。勉強をした記憶がないのですから当然です。これを子供たちは、どのように受け留めたのでしょうか…?

当時は、新聞販売店に住み込みで働きながら学校に行っていました。朝3時に起きて朝刊を、夕方には夕刊を配っていました。その他は遊びに夢中です。家にお金がなかったわけではなく、ただ家を出たいがゆえに、自分で店に飛び込んでいきました。ですから根性と気力はあったのですが、その力の入れ所がずれていたわけで、学校ではひたすら寝ていました。

それが今は牧師です。このギャップに今さらながら驚きます。でも、子供の自分を振り返って、なんだかその子供がとても愛おしく思いました。抱きしめてあげたいような…、後悔はなく、むしろ子供の自分に感謝したい気持ちです。良く頑張ってきたなと。

関牧師




2010年4月22日

4月25日2010年の週報に掲載

今日は娘の喜歌と息子の光輝の洗礼式です。15歳と10歳になります。私は20歳の12月に洗礼を受けました。それから25年が経ち、自分の子供たちが洗礼を受けるという、私と妻の人生にとって、最も大きな祝福です。


牧師の家庭ということで、出来るだけ子供に信仰的なプレッシャーをかけないように、自分の意志で選べるようにと配慮してきたつもりですが、子供にとっては、それでもプレッシャーがなかったということはないでしょう。牧師の子供として、教会のありのままを見てきて、また家庭における両親の姿も見てきて、それでも主を信じたということは、これは福音そのものの力、主の恵み以外の何物でもありません。

1たす1が2になるのが当然ですが、信仰と恵みの世界には、計算を超えた事が起こるものです。1たす1が100にも1000にもなるのです。

洗礼はゴールではなく、始まりです。イエス様の弟子としての歩みの始まりです。弟子とは、師の近くにいて、師から直接に学ぶ人のことです。「あなたはイエスの弟子ですか?」と聴かれて「はい」と答えたいですね。私たちの師であるイエス様は、命をかけて弟子を守り、導き、教えてくださいます。イエス様の弟子であることを誇り、喜びましょう。                   

関牧師


2010年4月15日

4月18日2010年の週報に掲載

受難週、グッドフライデー、復活祭と続き、聖書の流れで言えば、今度は宣教となります。そして必然的に、宣教の原動力としての聖霊の満たしへと流れは向かっていきます。 今年のペンテコステ(聖霊降臨記念日)は、5月23日になります。その後には、ハワイ聖会が控えています。まさに恵みのオンパレードです。

ここで大切にしたいのは、確かな個人的な体験です。これらのイベントは、機会を提供するもので、イベント自体に何か特別な力があるわけではありません。機会をどのように活かすかは自分にかかっています。しかし、もし「求め」があるなら、思い切って求めてみましょう。何を? 確かな神体験です。それは聖霊体験、御言葉体験と呼ばれますが、要は、聖書の言葉が、文字ではなく、語りかけとして受け留められるという体験であり、その神の言葉によって確かに変えられるという体験です。それが天の父なる神との人格的関係と呼ばれるものになります。

「求めなさい、そうすれば与えられる」とあります。教会全体に、聖なる「飢え渇き」が起こり、それぞれが切なる思いをもって、神を求めることが出来ますように。そして、天の父なる神との、揺るぎない、確かな人格的関係を持つことが出来ますように。機会を活かして用いましょう。

関牧師



2010年4月8日

4月11日2010年の週報に掲載

教会の前の道路で、舗装の張替え工事をしています。 工事中は不便ですが、なにせ凸凹の道だったので、仕上がりが楽しみです。 最近は週に一度は、フィットネスクラブで汗を流すようにしています。 ハツカネズミのように、ひたすら同じ場所で足を動かしていますが、距離もだいぶ伸びてきて、身体が締まってきたようです、、、と思っています。

45歳というのは、特に男性の人生にとって最も危機的な時期だそうです。 思春期やリタイヤの後にもそれぞれ人生の危機がありますが、この時期、明らかな身体の変化というものに直面するからです。 不惑の年と言われる40代でありながら、一方で人生の折り返しを過ぎたことを実感します。

視力の良い人は、老眼に早くなると聞いたことがありますが。私も、目だけは良かったのです。 しかし、最近明らかに、近くの文字がかすんできました。先日、誰かの忘れ物であろう老眼鏡が礼拝堂にあったので、それを思い切ってかけてみました。 すると良く見えるのです。ショックでした。

しかし、この自然の成り行きは、受け入れるしかありません。 同時に、自分に出来る事、出来ない事、人生の仕分けも考えていく良い機会となっています。

関 牧師



2010年4月7日

4月4日2010年の週報に掲載

今日は復活祭! 毎年迎えるこの日ですが、今年の復活祭は自分にとってどのような意味がありますか? 

永遠の命とは、死後に与えられるものではなくて、イエスを信じた、その時に与えられるものです。私たちは、すでに確かな希望を持っているのです。

この一年の間に天に召されたホノルル教会員の方々
前田梅子姉 10/24  遠田綾子姉 2/7 米村エドナ姉 3/12
浜本ゴードン兄 3/14 

他にも、家族、親族、友人が召された方がおられます。

それぞれの家族、関係者に主の確かな希望と慰めがありますように。私も10月に父を天に送りましたが、今も希望が私を支えます。

この信仰の先輩方の祈りと奉仕によってホノルル教会は支えられてきました。私たちも信仰の遺産を受け継ぎ、 同じ天の御国を目指し一心に歩んでまいりましょう。

教会がこの地上にある限り、私たちは信仰のバトンを渡し続けます。そのようにして、人は変わり、時代も変わり、建物が変わっても、神の教会はあり続けるのです。

関牧師

2010年3月25日

3月28日2010年の週報に掲載

イエス・キリストは十字架で死なれた。 なぜ? 誰のために? この十字架との関わりが、私たちの信仰の内実になります。

イエスの十字架と、どう向き合っていくか? 十字架をどう理解し、そこから何を得ているのか? このことは、何もまさって考え、求めるべきものです。 どれだけの犠牲を払っても、十字架が分かったと言えるようになるのなら、それは無駄ではありません。
それくらいに、私たちにとって、イエスの十字架は全てなのです。 今日から受難週が始まります。 2日はグッドフライデー、4日は復活祭です。 イエスの十字架の恵みをしっかりと受け留め、復活の喜びへ進んでまいりましょう。

復活祭には、5名の洗礼者、3名の転会者が与えられました。感謝します! どうぞ続々と洗礼者が起こされるように祈っていきましょう。

2日には、6PMからミニリトリートがあります。 この時は、それぞれが指定された聖書の箇所を読みます。 そしてその御言葉の情景を思い浮かべ、その出来事の意味を考え、自分へのメッセージを考えます。 メッセージを聞いたりするのではなく、それぞれが黙想します。 主の十字架を深く想う時です。 どうぞ是非ご参加ください。

関牧師





2010年3月18日

3月21日2010年の週報に掲載

先週の主日は中身の濃い一日でした。
 第一礼拝にダン&綾子さんに与えられた双子ちゃんが初めて礼拝に出席されて感激しました。続いて当真のお母さんが引越しをされるので第一礼拝への出席は最後になることを報告されました。それを聴いて涙しました。

礼拝が終わってランチをしている時にゴードンさんが召されたとの知らせを受け、すぐに静子さんの所に行き、そこでも涙しました。

その後、すぐにHOSOIに行き、病床洗礼を授けたケネス宮里さんの葬儀に出席しました。36歳での召天でした。そこでも涙がありました。

最後は、夕礼拝の時に北村さんファミリーが来られ、かなちゃん、たみちゃん、みかちゃんの三人の信仰告白を導きました。そして復活祭に洗礼を受けることになりました。そこにも涙がありました。
ほかにも、苦難から癒され笑顔を取り戻した方、人生の大きな岐路にある方、それぞれに心が動かされます。

たくさん心が動き、涙を流した一日でした。色んな味のする涙でした。教会はありとあらゆる人の集う場です。まさに人生の縮図です。でもそのすべての道に主がおられるのです。どんな時にも、どんな中にも主は共におられる。それをとても強く感じた一日でした。

関牧師


2010年3月14日

3月14日2010年の週報に掲載

風の強い日が続きます。おまけに冷たい風です。でも、とっても気持ちがいい。私がハワイで一番好きなのは、やはり風です。地球儀で見ると太平洋の真ん中の小さな島、今自分が感じている風は、この大海原を通って来たのかと思うと、なんだかとても贅沢な気分になります。まるで、この風に吹かれているのは、全世界で自分だけのような感覚になります。

でも正確に言えば、風の匂いが好きなのです。ハワイは日本ほどの季節の変化はありませんが、ちょうど日本の春先、そして秋口の匂いがするんですね。

厳しい寒さが緩み、梅の花が咲き始め、沈丁花の香りが漂い始める。その頃のなんとも柔らかな風の匂い。また紅葉が始まり、夏のまったりした空気がキリッとしてくる秋の風の匂い、ハワイの風は色々な記憶を呼び起こしてくれます。

よく思い出されるのは、秋の夕暮れ時。なとなく肌寒くなってきた頃、泥だらけで遊びまくり家路に着くと、近所の家から湯煙が立ち上り、まな板をトントンと叩く音が聞こえ始める。家に帰りなんだかホッとしたあの頃が思い出されます。小さな幸せの瞬間でした。聖霊は風のごとくにして、私たちを幸せの一瞬に導いてくださいます。

ちょっと今日は、感傷的になりすぎたかな。

関牧師



2010年3月5日

3月7日2010年の週報に掲載

最近、フィットネスジムに通うようになりました。教会がキリストの体として健康であるためには、まず牧師の体を健康にというわけではありませんが、45歳になって体をいたわるようになりました。
ずらりと並んだウォーキングマシンで黙々と走っている人、人、人、その中でまるでハツカネズミのように走り続けています。

先日はエアロビクスに挑戦しましたが、久しぶりにもうダメかと思うくらいに体を動かしました。 その後は筋トレをやって、サウナで汗を流して終わりです。 心なしか、お腹がへこんだような、胸板が盛り上がったような気がして、ぴりぴりする筋肉痛に満足感に浸っている今日のこの頃です。

それにしても津波騒ぎも、大きな被害もなく守られて本当に幸いでした。 それぞれに様々なドラマがあったようですね。 このような災害の時には、教会と牧師館は避難所として開放されますので、どうぞ遠慮なくご利用ください。 災害は起こってからでは遅いですから、予報がはずれてもいいのですから、どうぞいらしてください。

こんな時には、自然の前における人間の無力さを感じます。 ならば、その自然を造られた神の御前では、一体私たちは何者なのでしょうか? そのかけらのような私たちに、神は目を留め、愛を注いでくださるのです。 恵みですね。

関牧師




2010年2月26日

2月28日2010年の週報に掲載

牧師館の庭にパパイヤの木がありました。 たくさんの実をつけて楽しませてくれました。 木が高くなってきたら光輝がするすると登って収穫をしました。 でもとうとう、木が高くなり過ぎて届かなくなってしまい、ボールを投げて当てて落としたりしていました。

せっかくの美味しそうな実が、ほとんど鳥の餌になってしまいました。 鳥さんは大喜びだったでしょう。

収穫には時があります。 早過ぎてもいけないし、遅すぎると取られてしまいます。

イエス様は「収穫は多いが、働き人は少ない」と言われました。 どんな心で言われたのでしょうか?

ある意味で、常に働き人が少ない、という状況はあるのでしょう。 なぜならいつの時代でも収穫の方が常に多いからです。 だから、常に祈り求めていくのでしょう。 収穫のための働き人が与えられるように。

長年、日本とアメリカで放送されていたハーベストタイムがそのTVの働きを終えます。 まさに「収穫の時」という意味の番組でした。 でも収穫の時は続きます。 「収穫は多い」のです。 働き人は必要です。 ずばり!伝道のために情熱をもって働く人が求められています。

共に魂の収穫の喜びを体験しましょう。

関牧師




2010年2月19日

2月21日2010年の週報に掲載

先日の執事会で、I-CHURCH という発想が提起されました。
このIは、愛のI、そしてインターネットのIです。

ホノルルには日本から大勢の方々来られます。一年に複数回、あるいは三ヶ月間の滞在者、それらの方々の中で、ホノルルに来る楽しみの一つにホノルル教会の礼拝参加を入れてくださっている方々が大勢います。 わざわざ、ホノルル教会のスケジュールに合わせて来られる方もいます。

そのような方々の中で、主イエスを受け入れる方々が起こされています。日本ですでに教会に通っておられる方には、当然日本の教会で洗礼を受けることをお勧めします。 また、日本での教会生活の実態がない方々には、日本の住居の近隣の教会を紹介するようにしています。 そこで定着して洗礼に導かれれば、それがベストです。

しかし、主イエスを受け入れた方の中で、日本の教会に定着できずにいる方、あるいは自分はホノルル教会のメンバーだという自覚を持っている方がおられます。
そのような方々のフォローを考えている中で、I-CHURCH構想が生まれました。 あくまで教会の交わりを大切に考えて、日本の教会に定着できることを願いながら、一方で現代のインターネットを利用して、もっと積極的なフォローが出来ないかと考えています。 さあ、この構想がどう育っていくか? お祈りください。

関牧師



2010年2月11日

2月14日2010年の週報に掲載

 このたび、日本から高橋敏夫先生が来布され、メッセージのご奉仕をしてくださいます。先生が牧会される春日部の教会には、なんと「在主庵」というお茶室があるそうです。これは日本でも珍しいと思います。高橋先生は、表千家の茶道教授としても活躍され、千利休の直弟子であり、キリシタン武将であった高山右近の研究家でもあります。

 茶道は、日本文化の粋を集めたもので、茶道を通して見る日本文化、そしてキリスト教との接点には、大変に興味深いものがあります。茶道の中に、驚くほど当時のキリシタンの影響が隠されていますし、日本宣教と日本文化の関わりを考える上で、大きな示唆を与えてくれます。

 茶道には「一期一会」という言葉があります。私の好きな言葉の一つです。この出会いは、一生の内で最初で最後かもしれない。私たちには明日のことは分かりません。今のこの出会いは、二度とないかもしれないのです。そのような思いが、この言葉に込められています。これは、茶道のおもてなしの心の原点であろうと思います。

 この礼拝にも一期一会の心で集いたいと思います。主との出会いも、また兄弟姉妹との交わりも、明日が分からないからこそ「今」の出会いを大切にしましょう。二度は繰り返さない時の流れの中で、「今」という永遠の出会いがここにあります。「今」語られている神の言葉、注がれている神の恵みをしっかりと受け取りましょう。

関牧師




2010年2月5日

2月7日2010年の週報に掲載

 先週は、これからのホノルル教会の目指す所を、これまでの教会の歴史を振り返りながら発表しました。教会の成長を階段を昇るように考えれば、次のステップは何かを知ることはとても重要なことになります。

 健康のためには、階段の一つ飛ばしは良いのですが、成長として考えると、階段を一つ、二つ飛ばして上に昇っていくと、どこかでつまずいて転落してしまいます。成長の段階を、一つ一つしっかりと踏みしめて、前に進んでいきたいと思います。

 そして、これからの段階を「教会形成期」と名づけました。私たちがキリストの体として結び合わされ、体として考え、行動できるようになることです。そのためには、まず個人として天の父との人格的関係の確立、そして教会生活を通して、隣人との関わりを通して、教会がキリストの体であることを体験的に学ぶことです。

 教会が成長するために、まるでREDBULLを飲むかのような、即効性のある、マジックのようなものはありません。成長の秘訣は、とても地道な基本の繰り返しにあります。

 ただ大切なことは、成長を望むこと、成長を信じること、成長を期待することです。そして何のために成長するのか? 主の御心を充分に行うための成長です。この目的をしっかりと見据えていきましょう。さらに、そのまた次の段階は? すごいことになりそうです。

関牧師



2010年2月1日

1月31日2010年の週報に掲載

 私は、毎年恒例の牧師リトリートに参加してきました。LA郊外にあるカトリックの修道施設で持たれました。といっても、この文を書いているのは、リトリートに行く前なのですが。

 信仰をもって、素晴らしいリトリートであったと言わせていただきます。

 「リトリート」これは日常から離れ、自分を見つめ、新たな出発をするという、仕切り直しの時でもあります。イエス様は、しばしば、荒野や静かな所に一人で退いて祈りました。これがリトリートです。

 今の多忙な時代に、そんな時間を持つことは困難と感じる方もいるでしょう。しかし、だからこそ、静まる時が必要なのです。そのリトリートで何があるかと言えば、それは神との交わりです。神の御声に耳を傾け、神に語りかける、それがリトリートの時です。

 一度立ち止まって、足元を見つめ、そして主を見上げて、仕切り直しをする。これがないと、簡単にこの世の中の流れに翻弄されてしまいます。

 教会では、4月2日(金)のグッドフライデーの夜から土曜日まで、一泊のリトリートを計画しています。そこで、一人一人が、より深く、豊かな主との人格的関係を持つことが出来るようにと願っています。

 私たちの信仰も、教会全体の歩みも、この天の父との人格的関係から始まります。そのためにこそ、リトリートを大切にしましょう。一日の中で、一週間の中で、一年の中で、天の父との深く豊かな交わりの時を持っていきましょう。

関牧師



2010年1月21日

1月24日2010年の週報に掲載

 「行き先の分からない船に乗る人はいない」と思いますが、いかがでしょう。たまに当の無い旅もありますが…。

 私事ですが、この4月でハワイ上陸5年を迎えます。前任の鈴木先生よりバトンを受けてから2年半です。4月以降に私は、サバティカルを2ヶ月間取る義務があります。この一区切りの時、教会にとっても、何か新しい成長の段階に入っていくのではという思いがありました。この思いを執事会でシェアーしたところ、ホノルル教会は、成長の階段を一つ上る時であるという共通の認識を得ました。

 教会とは、キリストの体です。ただの組織、建物、人の集団ではありません。聖書には教会は成長するものであることが記されています。エペソ4:16 

 さて、それでは私たちは、どのように過去を受け留め、今を認識し、そして将来を考えるのか。特に将来に関して考える必要があります。新しい成長段階が分かると、教会の力の入れどころ、なぜこのプログラムを持つのか? 何のためにそれをするのか? という教会の営みの一つ一つに必然性と意味が見いだされます。

 よく先生のビジョンは? と聴かれることもあります。確かに主は、牧師にビジョンを与えてくださいます。しかし、それが「牧師の」から「教会の、私たちの」にならなければ意味がありません。

 次週の31日、礼拝後に、教会のこれからの成長段階について考えていることをシェアーしたいと思います。それが教会に受け留められもっと豊かに拡がっていくことを期待しています。 皆さんの参加をお待ちしています。ご一緒に当のある旅に出かけましょう。

関牧師