2014年12月26日

12月28日2014年の週報に掲載

 2014年、最後の主日を迎えました。この一年を振り返り、神の恵みに心を留め、感謝をもって締めくくりたいものです。

 東京聖書学院で学んでいる角田利光兄からのニュースレターに「そもそもエクササイズ」というものが紹介されていました。

 そもそも なぜ私は今ハワイにいるのか? そもそも、なぜここで礼拝しているのか? そもそも なぜ私はこの事を悩んでいるのか? そもそもと考え始めると、大事なことに気づけそうですね。

 そもそもの答えが、「私が」という主語ではなく、「神が」という主語を持つ時に、分かるようになります。

 神は確かな計画をもって私たちの人生を、そしてホノルル教会を導いてくださっています。そして、神の計画の中にある時に「すべての事が益とされるのです。」

 この一年、起こった出来事の裏側にある、神の計画に心を向けて、すべてのことを最善に、すべてのことが祝福に変えられると信じて、すべてのことを感謝いたしましょう。

 この一年間も、足りないだらけの牧師ですが、皆様の愛と忍耐、そして何よりも祈りによって支えていただいことを、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。新しい年も、共に主を見上げて前進してまいりまでょう。

関牧師

2014年12月18日

12月21日2014年の週報に掲載

 今週は若者たち13名が、皆様の祈りに送り出されてECカンファランスに出発します。旅の安全と祝福をさらに祈りましょう。

 今年も24日(水)の夜は、キャンドルライトサービスです。6時半から始まります。どうぞご家族、ご友人を誘ってお集いください。聖なる一時を過ごしましょう。

 クリスマス。それは神が人なってこの地上にお生まれくださった時です。聖書は「誰も天に上った者はいない、しかし天から降って来た方いる。」と言います。

 私たちは、もっと高くもっと高くと、上を目指して上っています。しかし、その上った先には何があるのでしょうか? もっと、もっと…しかしいくら上っても頂上の影すら見えてきません。

 聖書は今だかつて天に上った者はいないと言います。しかし天から降って来た方がおられるのです。救いとは、人間の努力で達成されるものでありません。上に登れる一部の人だけが到達するものでもありません。すべての人を救うために、神の方から降りて来てくださった、これがイエスの誕生です。

 救い主イエスに出会うには? 高い所では会えません。自らを低くするなら、会えるのです。 

関牧師

2014年12月12日

12月14日2014年の週報に掲載

 待降節(アドベント)第三週となりました。救い主の誕生の意味の豊かさを新たに体験する時といたしましょう。

 神が人となられたという出来事を「受肉」と言います。肉体を受けられたということです。ですから私たちの信仰も「受肉」したものでなければなりません。

 目に見えない霊的な世界と、目に見える世界とが結び付いていなければならないのです。私たちが信じ日々体験している、神の愛、赦し、平安、喜び、永遠の命…、それらが確かに目に見える形で現れるのが、神の御心です。

 その現れは、私たちの隣人との関係の中にこそ現れます。先週は「平和」について語りました。平和の秘訣は「赦し」です。まず自分自身が赦され、そして隣人を赦す時に、キリストの平和が目に見える形となるのです。

 信仰と実際の生き方が切り離されることなく、受肉したものでありますように。私たちの実際生活の中で、キリストの恵みを証しすることが出来ますように。

このクリスマスの時、神が人となられたことが、今の自分にとって、どれほどの意味があるのか、しばし黙想しながら考えてみましょう。       

関牧師

2014年12月5日

12月7日2014年の週報に掲載

 本日は、待降節(アドベント)の第二週です。アドベントとは、アドベントゥスというラテン語からの言葉で、「到来」を意味します。救い主の到来を待ち望むという意味になります。

 クリスマスは、クライスト(キリスト)、マス(ラテン語で礼拝の意味)です。キリストを礼拝します、という意味になります。これにMerryが加わると、「祝!キリストを礼拝します。」という感じになります。

 ですから、最近アメリカではメリークリスマスと言わないで、Happy Holyday という言い方をします。キリスト教徒でない方にとって、メリークリスマスは抵抗があるのでしょう。でも、それは当然のことで、個人の信仰の自由は尊重されるべきです。

 私たちは、この時、意味を込めて、自らの信仰告白として力強く「メリークリスマス」と言いましょう。

 本日12月7日は、ハワイにとって特別な日です。真珠湾攻撃の日です。1941年、ちょうどその年も、7日は聖日でした。かつてここから、世界中に争いが拡がっていきました。しかし、今度は、この島から世界中に、キリストの平和が拡げられていきますように。今日は、真珠湾攻撃の攻撃隊長で、有名な「トラトラトラ」(我奇襲に成功せり)の暗号を打電した淵田美津雄大佐の話をします。彼は、後にキリスト教の伝道師になります。淵田大佐の人生を変えたものとは?

関牧師

2014年11月28日

11月30日2014年の週報に掲載

 先週の夕拝は、日本とスカイプ中継でつないで合同礼拝を持つことが出来ました。日本では大人9名と子供2名が参加されました。

 いよいよ今日から、アドベント(待降節)です。キリストの御降誕の意味を考えながら過ごしましょう。

 最近では、クリスマスをサンタの日と勘違いしている方が多くいます。本来、クリスマスの主役であるキリスト不在のクリスマスです。

 このような時代だからこそ、私たちは本物のクリスマスを過ごしましょう。神の子キリストが人となってくださったことの意味を考え、それが自分にどれだけの恵みをもたらしているのか、まさに感謝の日々です。

 このような時期に、次週の12月7日は、真珠湾攻撃が行われた日です。かつて、このハワイから世界大戦の口火が切られ、世界に争いが拡がりました。しかし、私たちは決意を新たにしましょう。今度は、ここから世界にキリストの平和が宣べ伝えられることを。そのために私たちを用いてくださいと祈りましょう。

関牧師

2014年11月21日

11月23日2014年の週報に掲載

 今週は「感謝祭」です。感謝とは、クリスチャンが最も多く使う言葉ではないかと思います。

 感謝という実は、恵みという種から生じます。感謝と恵みは、ワンセットです。

 「いつでも、すべてのことについて感謝しなさい。」とあります。そのように命令されると、出来ないことを考え始めます。しかし、感謝とは、恵みから生じるのです。出来事、そのものからは感謝が生じません。

 いつでも、全ての事に、ということは、神の恵みは、いつでもある。神の恵みはすべての出来事の中にある、ということなのです。

 永遠に変わることのない、いつでも注がれている神の恵みに目を留めてみましょう。すべての出来事の中で、特に試練の中で、苦しみの時に与えられる神の慰め、痛みの時に与えられる神の癒し、喪失の嘆きにある時に与えられる神の希望…。

 神の恵みは、いつでも、どんな時にもあるのです。神の恵みに目を留め、神に感謝を捧げましょう。

関牧師

2014年11月13日

11月16日2014年の週報に掲載

 1620年12月26日、イギリスの清教徒たちが、信仰の自由を求めてメイフラワー号でアメリカのマサチューセッツ州プリマスに到着しました。上陸したのは102名(男78、女24)でしたが、そのうちの約半数が厳しい寒さと飢えのために命を落としました。

 生き残った人たちは、先住民であるネイティブ・アメリカン(インディアン)に狩猟や農耕を教わり、春、夏と一生懸命働き、その秋にはたくさんの収穫を得ることが出来ました。人々は教会に集い、収穫を喜び、神に感謝を捧げたのです。この感謝の集まりこそが、現在の感謝祭のルーツです。

 感謝の源は、「恵み」です。清教徒の方々は、ネイティブ・アメリカンの方々から、恵みを頂いたのです。だから、そこに感謝の宴が催されたのです。

 私たちは、感謝が足りなくなっている時、それは恵みを忘れている時、それは人間がとても高慢になっている時です。やがて、ネイティブ・アメリカンの人々は、土地と命を奪われていくのです。

 私たちは、恵みを忘れてはなりません。「数えてみよう主の恵み」という聖歌があります。恵みを数え、感謝を捧げるものでありましょう。

関牧師

2014年11月7日

11月9日2014年の週報に掲載

 先週の礼拝で、3名の方がイエス様を信じる決心をしました。教会にとって最大の喜びです。ハレルヤ!

 11月23日(日)に洗礼式を予定しています。洗礼を希望する方は、関牧師までご連絡ください。

 イエス様は、心の扉をノックしておられます。その扉を開けるかどうかは、自分が決めなければなりません。もし開けるなら、イエス様は入ってきてくださいます。

 このメッセージは、クリスチャンにも語られています。私たちは、いつの間にか、主を外に追い出してしまっていることはないでしょか? 神の家なのに、自分の家に戻していることはないでしょうか? 教会も同じことが言えます。

 今一度、自己を振り返ってみましょう。扉を開いて主をお迎えしているか。さらに心の内なる部屋のすべての扉が開いているだろうか? 開かずの部屋がないだろうか? 全ての心の部屋に主をお迎えしましょう。

 それにしても、イエス様の愛と忍耐を思います。自らを外に追い出すような者に、それでも扉をノックし続けてくださるのです。そして和解の手を差し伸べてくださるのです。イエス様の愛に圧倒されます。

関牧師

2014年10月31日

11月2日2014年の週報に掲載

日本語部としての悔い改め告白文
~リバイバル・プロジェクトに際して~

 私たちホノルル・キリスト教会は、日英両語部合わせて、一つのキリストの体としての教会であることを信じる。

 しかし、私たち日本語部は、自らの霊的立場*を自覚せず、それに伴う責任*を果たしてこなかった。それゆえに、日本語は、英語部に頼り過ぎていた。

 それは、神に対して不忠実の罪、英語部に対しては不誠実の罪であることが示され、神の御前に悔い改める。

「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたは、キリストの体であって、一人一人は各器官なのです。」Ⅰコリント12章26,27節

「モーセは、しもべとして神の家全体のために忠実でした。」ヘブル3章5節

  • 「霊的立場」一つのキリストの体として、英語部と霊的につながっている。
  • 「それに伴う責任」英語部と積極的に関わり、愛し合い、教え合い、励まし合い、戒め合うべきである。
関牧師

2014年10月26日

10月26日2014年の週報に掲載

 昨日は、日英合同悔い改めの集会が持たれました。教会の祝福は悔い改めから始まります。だからこそ、悔い改めとは何か? を正しく理解しておかなければなりません。悔い改めは、反省や後悔とは違います。

 まず第一に神にとって、それが罪なのかどうか? です。一般では罪ではないことも、神の御前では罪なことがあります。Aさんに悪いことをした、という事が神の御前でどうなのか? 神が隣人を自分のように愛せよと命じておられるので、Aさんを傷つけることは罪なのです。

 そして大切なのは、ただ罪に気づくだけではありません。その罪と決別し新しい歩みを始めることです。そこまで行って、はじめて悔い改めとなります。

 昨日の悔い改めをしたから、すべて済んだということではなく、さららさらに悔い改めが深められていきますように。悔い改めをただの形式で終わらせないために、常に主に思いを向けていきましょう。大切なのは、これからどう歩むかです。

関牧師

2014年10月17日

10月19日2014年の週報に掲載

 今日の礼拝には、中野雄一郎先生をお迎えすることが出来たことを感謝します。先生は、1981年~96年まで、15年間、ホノルル教会の日本語の牧師としてご奉仕されました。現在は、マウントオリーブミニストリーの伝道者として、奥様の明子夫人と共に、まさに世界中を巡回伝道されています。

 私たちは、25日(土)に日英合同の悔い改めの集会を持とうとしています。この時期に、中野先生をお迎えするのも、主のご計画であろうと思います。先生を通して語られる主のメッセージに耳を傾けましょう。

 教会は「キリストの体」です。私たちは、その一器官です。一つの体ですから、それは共同体です。共に喜び、共に苦しむ集まりです。そして私たちの喜びは、イエスの喜びです。その苦しみはイエスの苦しみです。私たちが心を一つにして共に歩むとき、そこにイエスのお姿を見るのです。 私たち教会の交わりは、共にイエスを体験する交わりなのです。

関牧師

2014年10月13日

10月12日2014年の週報に掲載

 「悔い改め」とは、恵みです。私たちが罪を悔い改めるのを妨げるものは、神に対する高慢、自虐、そして恐れです。

 「恐れ」とは、神と人との関係を壊す最大の要因です。しかし、罪人である人間が、聖なる神のもとに行くことは、怖ろしいことです。罪人が礼拝に来ます。なぜなら、イエス様が「わたしは正しい人ではなく、罪人を招いている」と言われるからです。

 しかし、その罪の悔い改めがないまま「恵まれた」と言って礼拝を後にするなら、それは?です。礼拝に来たら、しっかりと罪を悔い改めて、新しい一週間を始めましょう。

 イエスは、「一人の罪人が悔い改めることを神は喜ぶ」ということを、3つの譬えを語って明らかにしています。もし神のもとに行くことが「怖ろしい」と感じるなら、それは当然の感覚です。しかし、神は「恐れるな」と言ってくださいます。なぜなら、私たちの罪は、イエス様の十字架のゆえに、赦されているからです。十字架の愛は、恐れを一掃します。

関牧師

2014年10月2日

10月5日2014年の週報に掲載

 今年のハワイは、日本のような蒸し暑い日が続きます。牧師館の庭の芝生も茶色になってしまいました。しかし、昨夜は久しぶりの大雨が降り、朝を起きてみると、芝生に若葉がたくさん出来ていました

 人生にも色々なシーズンがあります。でも時は進みます。「神の成さる事は、すべて時にかなって美しい。」とあるように、神の時があります。枯れる時もあれば、芽生える時もあります。それぞれに美しさがあります。

 さて悔い改めをテーマに語っています。もし悔い改めとう恵みがなかったら、と考えると悔い改めの有難さが分かります。過去の罪やお過ち、傷、苦しみ、後悔、それらを捨てられないとしたらどうか? 一生それらを負って生きなさいと言われたら…。悔い改めとは、罪を捨てて、神に立ち帰ることです。それは、帰ってくるのを待っておられる神がいるということです。

 広い意味で、礼拝に来るということは、神のもとに帰ってくることですから、悔い改めそのものです。今日の礼拝も、自分の内に山や谷があったら、それらを平地にして、神のもとに行きましょう。

関牧師

2014年9月26日

9月28日2014年の週報に掲載

 先週は、リバイバル・プロジェクト(教会増改築)の説明が開催されました。具体的な建築プランなど、増改築に関する計画に入る前に、私たちは霊的な準備をしなければなりません。

 目に見える建物と、目に見えない信仰とは決して切り離すことは出来ません。私たちの信仰のあり方が、目に見える形で現れるのが教会の建物です。

 そこで私たちは、プロジェクト始動の条件として二つのことを挙げました。それは、悔い改めと日英共通のビジョンです。

 10月25日(土)9AM 礼拝堂で、日英合同の悔い改めの集会が開催されます。

 祈り始めてください。個人的に悔い改めるべきことがあるかどうか。教会としての悔い改めは、何か? ホノルル教会の歴史にとって、大きな転機となるべき時です。御心にかなった悔い改めに導かれるなら、その後にはリバイバルが起こります。この祈りに導かれるための、これまでの全てがあったと思えます。

関牧師

2014年9月19日

9月21日2014年の週報に掲載

 本日は、教会増改築プロジェクト(リニューアル)に関する説明が開催されます。11AM~12:30PMを予定しています。ホノルル教会にとって、とても重要な事です。どうぞご参加ください。どうしても参加できない方のためには、レジメと当日の説明会を録音したCDをお渡ししますので、どうぞ事務の松田 兄まで申し込んでください。

 さてこの度、日本でホノルル教会の日本国内集会が始まることになりました。第一回目は9月23日です。場所は、東京聖書学院の夫婦寮です。角田利光、愛美夫妻がご奉仕してくださいます。利光兄は修養生としての学びがありますので、実際にはおもに愛美姉が集会の連絡、案内をしてくださいます。

 皆さんのお知り合いで、ホノルル教会の関わりの方、またそのお知り合いで、案内をしたい方がいましたら、どうそ牧師までお知らせください。

一番良いのは、日本の地域教会につながることですが、それまでの間、ホノルル教会として積極的にフォローアップをしていくことになりました。お祈りください。

関牧師

2014年9月12日

9月14日2014年の週報に掲載

 次週の21日(日)11AM~ 教会増改築プロジェクトに関する説明会が開催されます。是非ご参加ください。参加できない方にはレジメとCDをお渡ししますので、ご希望の方は松田兄まで申し込んでください。

 礼拝では今「愛することを学ぶ」というテーマでメッセージを語っています。「神は愛です」。すべての人は、神に愛される対象として造られました。私たちは、愛されるために存在しているのです。ですから人間は愛されないと傷つくのです。

 そして人は、愛するために生かされています。愛することが出来る、これが最も幸せなことです。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する。これが私たちの最高の「生き方」です。

 愛である神に造られた人間には、愛があります。人は誰にも教えられなくても、時が来れば愛が芽生えます。愛は本能的です。学ぶものではありません。しかし、問題は「愛し方」です。愛があっても愛し方において、私たち学ぶ必要があります。イエス様から愛し方を学びましょう。

関牧師

2014年9月5日

9月7日2014年の週報に掲載

 ホノルル教会は、2008年より教会増改築プロジェクトを進めています。このプロジェクトをリニューアルと呼んでいます。

 9月21日(日)11AM~ リニューアル説明会を開催します。これまでの経緯、現状、今後のプランについて説明します。どうぞご参加ください。参加できない方には、資料と当日の模様を録音したCDをお渡しできます。希望者は、松田兄まで申し込んでください。

 また、9月からサンデースクールの内容が、一部新しくなりました。特に分かち合いのクラスを充実させたいと思っています。その日の礼拝メッセージに対する応答を、みんなでシェアーして、御言葉の恵みを深めていきましょう。

 クリスチャンライフBASICという基礎的な学びのコースも始まります。また各年代別のクラスも充実して来ました。

 私たちは今「愛することについて」学んでいます。どうすることが真に愛することになるのか? イエス様を通して、愛することにおいて成長していきましょう。

関牧師

2014年8月29日

8月31日2014年の週報に掲載

 しばらくの間、「愛することを学ぶ」というシリーズで語っていきます。イエス様こと、愛の教師であり、愛そのもののお方です。私たちはイエス様か「愛し方」を学びたいと思います。

 先週は、一人の重い皮膚病におかされた男とイエス様の出会いから学びました。

 当時、この種の病は、人々から汚れた者であるとされ1メートル80センチ以内に近づいてはいけませんでした。イエス様の廻りにいる群衆は、この男がその病であることを知った途端、さっと手を引っ込め、後ずさりして離れたはずです。この男の廻りから一瞬で誰もいなくなりました。

 しかしイエス様は、群衆の動きと全く正反対の動きをしているのです。お一人だけ違う動きをしています。

 イエス様は、手を伸ばしたのです。つまり男に近づいていったのです。そして触れたのです。これがイエス様の「心」です。「あなたと共にいる。あなたの汚れを私が引き受けた」ということです。ここに十字架の真理が現されているのです。

関真士牧師

2014年8月22日

8月24日2014年の週報に掲載

 今朝は、アラモアナビーチで朝日の中、洗礼式が持たれました。洗礼を受けられた4名の方々に、神の祝福が豊かにありますように。

 洗礼は、イエスを自らの救い主として信じ受け入れた人が、その信仰を表明する時です。洗礼を受けたから救われるのではなく、主を信じて救われた人が洗礼を受けるのです。

 洗礼は、入学式です。卒業ではありません。これから神の子供として成長が始まるのです。

 洗礼式には二つの意味が込められてます。水に沈んだ時は葬りを、水から出た時は復活を現します。古い自分は、キリストと共に葬り去られました。そしてキリスト共に新しく甦ったのです。

9月7日から第二礼拝後の11AM~12PMまで、「クリスチャンライフ・ベーシックが始まります。基礎的な学びのコースで約24回くらいです。参加希望者は、サインアップシート(掲示板)にサインしてください。

関真士牧師

2014年8月14日

8月17日2014年の週報に掲載

 本日は、年に一度の恒例となってます「心に光を」講壇交換です。「心に光を」放送は、AM1210 KZOOラジオから毎週月曜日から金曜日まで、午後2時45分から放送されています。放送開始は、1981年ですから、今年は33年目になります。現在、7名の牧師が週ごとに担当しています。月曜日を担当していた正木茂先生は、体調を壊されて休養していますが、復帰を祈っています。北村美餘子姉がアナウンサーとして、この放送を始められたことを覚えます。

 この放送の目的は、キリストの福音を伝えることです。正確な統計はありませんが、相当に多くの方々が教会に導かれています。その中には、井下泰文先生のように牧師にまでなった方もいます。日本で伝道していた私にとっては、これほど多くの聴取者のいるラジオ局から福音を語ることが出来るというのは夢のような話です。

 「心に光を」放送の財源は、すべて有志による献金によります。どうぞ、この働きに献金をもってご参加ください。一人でも多くの方々にキリストの福音をお伝えするために、この放送が用いられますように。ご協力をお願いいたします。

関真士牧師

2014年8月7日

8月10日2014年の週報に掲載

 今日は、第二礼拝の後に、スモールグループの分かち合いの時を持つ予定です。「分かち合いのポイント」を配布していますので、どうぞご利用ください。

 気持ちの良いグループにするために、それぞれがテーマからはずれないこと、話し過ぎないこと、教えない、批判しない、聴くことを心がけていきましょう。

 先週は「あなたの隣人とは誰ですか?」という問いかけをしました。答えはメッセージの中でも語りましたが、自分の隣人は、はっきりしたでしょうか?

 奇しくも、英語部のジョン牧師も「良きサマリヤ人」の箇所からメッセージを語ったそうです。今、ホノルル教会全体に「隣人を愛する」ことについて、主が語ってくださっているのでしょう。愛することについて、もっともっと知識において、実践においても深めていきましょう。

8月24日に洗礼式が持たれます。洗礼を希望する方は、関牧師までご連絡ください。

関真士牧師

2014年8月1日

8月3日2014年の週報に掲載

 ここハワイも暑い日が続きます。どうぞ水分補給をしっかりして過ごしましょう。礼拝堂の入り口の所に、水が置かれていますので、どうぞご利用ください。

 ここ何回か、礼拝の祝祷の時に、子供たちが前に出てきています。これは、子供たち自身に、自分は礼拝に参加しているという意識を持たせるためです。礼拝堂のラナイの後ろに子供のスペースがありますが、子供も礼拝に参加しているのです。

 また私たち大人にも、私たちは子供と一緒に礼拝しているという意識を持っていただくためです。どうしても、礼拝は、大人向けの内容になっています。せめて祝祷の時には、子供がいることを意識したいのです。

 またメッセージの後に、黙想の時間を持つようにしました。これは、メッセージに応答することによって、御言葉が心の深くに留まるためです。特に「**牧師の」というフレーズが取れて、御言葉だけが残って欲しいということを考えてのことです。 礼拝は常に刷新され続けるものです。礼拝が真の礼拝となっていきますように、これからも試行錯誤し、祈り求めていきましょう。

関真士牧師

2014年7月25日

7月27日2014年の週報に掲載

 この一週間「愛すること」について、どのように歩んで来られたでしょうか。どんな御霊の実を分かち合うことが出来たでしょうか。

 私たちの人生は、悩み多き人生です。どうせ悩むのなら、愛されないことで悩むより、どのように愛するかで悩みたいものです。

 私たちは、すでに神に愛されているのです。愛されることを求める人生から、愛することを実行する人生に、生き方を転換いたしましょう。

 もし、愛することにおいて失敗したら、さらに主に「愛し方を教えてください」と祈り求めていきましょう。独りよがりではなく、本当の意味で「愛すること」は、とても難しいのです。自分のことばが、行動が、相手を愛することになっているのか? 御霊の実を分かち合う事になっているのか? 深く考えさせられます。

 しかし、イエスこそ、愛の教師です。私たちは、イエスを通して「愛すること」について学ぶことが出来ます。モデルはいつでもイエスご自身です。

関真士牧師

2014年7月18日

7月20日2014年の週報に掲載

 私たちが伝えたいものは、それは「福音」です。福音とは、主イエスが、私の罪のために十字架で死なれたこと、そして復活したことです。さらに、その十字架の死と復活が、歴史の事実であることです。時代が変わり、人が変わり、何が変わっても、私たちが伝えるものは変わりません。

 ただし、伝える方法は、時代によって、聴き手によって変わって来ます。その時代の言葉で、聴き手に分かる言葉で、福音を解き明かすことが大切です。

 さらに、自分自身が福音に生きることです。福音について説明するのと同時に、その福音を信じるとどうなるのかを見せるのです。それがキリストの証人ということです。

 罪が赦されるとどうなるのか? 傷が癒されるとどうなるのか? 神の愛を受けるとどうなるのか? そのことを生き様を通して見せていくのです。もちろん無理に見せようとパフォーマンスをしても意味はありません。福音を信じて救われた、自分をありのままに生きることです。

 それが御霊の実を分かち合うということです。

関 真士牧師

2014年7月11日

7月13日2014年の週報に掲載

 本日の第二礼拝では、新年度のシェパード委員と理事の就任式が行われます。どうぞ、一人一人の名前と顔を一致させて、お祈りに覚えてください。

 先週は、小林繁樹先生のメッセージ、トーマス大室兄の賛美のご奉仕を感謝します。イエス様のことば「わたしに従いなさい」に対して、「どんなことでも従います」と言い切れるとは、なんという祝福でしょうか。

 修養会に参加した8名も、それぞれが主の恵みにあずかり、フラ奉仕、賛美奉仕も守られました。皆様のお祈りを感謝します。

 私たちは、神さまからたくさんの恵みをいただいています。その恵みを分かち合っていきましょう。分かち合えば分かち合うほど、その恵みはさらに深まり、自分のものとなっていきます。

 今日は、私たちが分かち合う福音とは何かを確認し、その福音に生きているかどうかを考えてみましょう。教会が御霊の実の果樹園となり、それが教会の外にまで拡がっていくことをイメージしていきましょう。

関 真士牧師

2014年7月3日

7月6日2014年の週報に掲載

 7月の新しい賛美は『善き力に』です。この賛美の歌詞は、ドイツの神学者ディートリッヒ・ボンフェッファーによるものです。ボンフェッファーの著作は、私も多く読ませていただき、多くの恵みをいただきました。

 彼は、第二次世界大戦の中、ナチスドイツへの抵抗運動のために捕らわれて銃殺刑となりました。死刑になる4か月前に婚約者にあてた手紙が、この歌詞となりました。

 イエスのことば「わたしに従いなさい」の意味をかみしめながら、自分自身の信仰告白として、この賛美を神に捧げましょう。

 神の成された最大の奇跡、それは御子をこの世に送り、十字架につけ、全人類の救いを成し遂げたことです。その神の奇跡を信じて救いを得た者は、奇跡の証人です。

 この神の最大の奇跡に対して、私たちも最高の愛を神に捧げたいと願います。奇跡を受けるだけではなく、奇跡への応答として、自らを神に捧げ、神の栄光をたたえましょう。

関 真士牧師

2014年6月27日

6月29日2014年の週報に掲載

 こんな事を言っては手前味噌になりますが、ホノルル教会は素晴らしい教会だと思う。問題がないから、失敗がないから、素晴らしいのではありません。ホノルル教会に集う一人一人が十字架を仰ぎ見ているからです。そしてキリストの証人になりたいと願って聖霊の満たしを求めているからです。

 私たちは、さらにさらに、成長を願って行きましょう。もっともっとイエス・リストを証できるように。礼拝堂に近づいただけで、主の臨在に魂が喜びにあふれるような礼拝でありますように。人の願いや計画をはるかに超えた、不思議なことが起こる教会でありますように。

 そのためには、基本をしっかりと守りましょう。最初の教会は、何をしていた? 使徒の教えを堅く守っていました。交わりをしていました。パン裂き(聖餐式)を行っていました。祈っていました。

 特別なことではありません。基本中の基本です。主の御業を体験するのに特別変わったことをする必要はありません。最も基本的なことを忠実に確実に行うことです。  

関真士牧師

2014年6月19日

6月22日2014年の週報に掲載

「使徒の働き」には、最初の教会の様子が描がかれている。彼らは何をしていたのか? 使徒の教えを堅く守り、交わり、パン裂き、祈りをしていました。

 教会とは、何をする所なのでしょうか? あれも必要、これも必要、しかし、最も大切なことは? 今日も初代の教会の姿から教会のあるべき姿を学んでいこう。

 今日は、礼拝の後に「教会総会」が開催されます。教会の組織を改革してシェパード委員会が発足して一年が経ちました。その間、何が変わったのか? 表面的には大きな変化は見られません。しかし、組織の改革は、私たちの心が変わって初めて機能するものです。

 キリストの体としての教会が建て上げるために。キリストの証人としての使命を果たすために。キリストの弟子が造られていくために。キリストの福音を宣べ伝えるために。すべてはキリストの栄光のために。

 これらのために、私たち自身が変えられ、それに合わせて組織も変えられていくのです。この組織改革が、意味を成すためには、私たちの心に、キリストへの思いが新たにされることを求めていきましょう。

関真士牧師

2014年6月13日

6月15日2014年の週報に掲載

 先週は、聖霊の満たしを求めて、大勢の方が残ってくださいました。これだけの方が聖霊の満たしを求めておられることを見て、ホノルル教会は祝福されていると思いました。

 今日の第二礼拝の後には、スモールグループの時が持たれます。この一週間、どのようなことがあったでしょうか? それぞれが恵みを分かち合いましょう。

 聖霊の満たしを祈ったけれども、何も起こらなかった、何も感じなかったという方もおられるでしょう。それは聖霊に満たされていないこと? と思われる方もいます。

 そうではありません。詳しくは今日配布している小冊子をお読みください。

 先週の礼拝では、思わず感情がこみ上げて来て言葉に詰まってしまいました。昔、新宿の駅前で聖書を片手に「神さまは、あなたを愛しています!」と叫んだ時の気持ち、それは今でも同じ、いやそれ以上です。イエスがすべての答えです。この世において苦しみ、悩みの中にある人々に、このイエスを証したいのです。そのためにもっと力が欲しい。もっと鮮やかにキリストの生きていることを証したい。どうか、聖霊に満たしてください! この祈りが途絶える時はありません。

関真士牧師

2014年6月6日

6月8日2014年の週報に掲載

 今日は、聖霊降臨記念日です。よくこの日をペンテコステと呼びますが、これはユダヤの祭の名前で「50番名」という意味です。過ぎ越の祭の50日後に持たれる祭なのでこの名前が付けられています。内容は収穫の祭です。

 この日に、聖霊が降りました。精霊ではなく、聖霊です。聖なる神の霊ということです。

 イエスは召天される時、「聖霊を受けなさい」と言われました。そしてその時を「待つ」ようにと言われました。そして聖霊に満たされると私たちはキリストの証人となるのです。

 あなたは、キリストの証言者です。何を証言できますか?関見たこと、聞いたこと、自身で体験したことでないと証言できないですね。裁判における証拠は「多分」とか「気がします」では証言になりません。

 私たちは、他の誰もが認めなくても、知らなくても、証言をします。イエスは今も生きておられること。このお方は、私の罪を赦してくださったこと、私の人生を変えてくださったこと、私に永遠の命を与えてくださったこと…、私たちは、そのことの証人なのです。

関真士牧師

2014年5月30日

6月1日2014年の週報に掲載

 さて先週は、何の日だったでしょうか? 1932年5月25日は、ホノルル教会の創立記念日です。今年は、聖霊降臨記念日が6月8日になっています。この日は、全世界の教会の創立記念日です。

 そこで、毎年この聖霊降臨記念日に合わせて、教会の原点を振り返り、私たちは、なぜ、何のために存在し、どこに向かっているのか? その存在意義を確認したいと考えています。

 すべての教会に普遍的に与えられている教会の存在意義と共に、2014年に生きるホノルル教会の存在意義も考えていきましょう。

 いずれにしても、教会は、聖霊に満たされた一人一人の集まりです。聖霊の満たされるという個人的体験が、教会という集団を形成するのです。

 「あなたは聖霊に満たされていますか?」

 8日の第二礼拝後、聖霊充満特別集会を持ちます。聖霊の満たしを求めて祈る時です。私たちが聖霊に満たされ、御霊の実を結ぶためには、聖霊に満たされることが絶対不可欠です。聖霊の満たしを求めましょう。

関真士牧師

2014年5月23日

5月25日2014年の週報に掲載

 「みんなで育てよう! 御霊の実」というテーマのもと、教会は「御霊の実の果樹園」のようになることを目指して歩んでいます。

 私たちの交わりが、いつも平和であるために、キリストの心が私たちの心を支配しますように。人生の一大テーマである「人間関係」。この問題をどう乗り越えるかが、私たちが、この世にあって光となれるかどうかのポイントです。

 私たちは、当事者同士が向き合うと、話はよけいのこじれるものです。ですから第三者の仲介役が必要になります。しかし、仲介役がいたところで、当事者同士が、お互いを指さしているなら、真の解決には至らないでしょう。

 私たちは、向き合う前に、同じ方向を見るのです。一度相手から目を離すのです。私たち教会の交わりとは、同じ方向を見ることの出来る集まりなのです。なぜなら私たちは、同じ一人のイエス・キリストを信じている者たちの集まりだからです。

 これこそ私たちの特権です。まず、人に向かう前に、主の御前に出るのです。そこで、問題を解決してから、次に必要であるならば、当事者同士が向き合うのです。この順序が、人間関係の解決のポイントです。

関真士牧師

2014年5月16日

5月18日2014年の週報に掲載

 日本の聖書学院で、角田ファミリー、中川兄に会うことが出来ました。主に守られて学びと訓練に励んでいます。としさんのスーツ姿が珍しいです。またホノルル教会関係者がたくさん集まってくれ、楽しい時を過ごしました。

 節田八江子さん、名古屋でお会いしました。最近食事が取れなかったりして弱さを覚えていましたが、お元気でした。長井二三子さんと一緒にお祈りすることができました。

 福島での叔母の納骨式の司式も無事に済ませることが出来ました、市内のいたる所で、放射能の除染作業が行われており、震災から3年以上たった今も、復興の途上にあることを痛感しました。

 無事にハワイに戻りました。皆さんのお祈りを感謝します!

 今日は、知保子コストナーさんの賛美コンサートです。ご主人はドイツ人宣教師のクリストフさんです。夫婦で一緒にミニストリーが出来るのは幸せなことです。知保子さんの賛美を通して、イエス様の癒しと平安が流れていきます。どうぞ皆さん、お集まりください。今日の1時半からです。

関牧師

2014年5月9日

5月11日2014年の週報に掲載

 本日は、真柴香さんの証があります。真柴さんは最近、ご主人の哲彦さんを天に送りました。突然の召天でした。驚きと悲しみの中で、しかし真実な神は、真柴さんをその御腕で支えてくださいました。

 以前から、真柴さんの口を通して、哲彦さんの話を聞いている中で「なぜ真柴さんは、このような状況の中でも心豊かでいられるのか?」といつも思っていました。

 哲彦さんは、この世の中においては、心を病み、仕事をしなくなり、家で自分の世界に引きこもって行きました。この状況を否定的に受け取るなら、いくらでも悲劇のドラマを作ることができるでしょう。

 しかし、私は真柴さんの姿を見て、「人間は、自らがどう生きるかによって、その人生ドラマをいかようにでも作れる」ということを知りました。真柴さん自身も、哲彦さんも、そして子供たちも、幸せな人生ドラマを歩んでおられます。

 その秘訣は、哲彦さんの中に、イエスのお姿を見たということです。確かな事実は、哲彦さんを通して、香さんが、子供が、イエスを信じたのです。哲彦さんは、その存在を通してキリストを証ししていたのです。どんな状況にあっても、そこでイエスに出会うなら、すべてが変わります。

関師

2014年5月2日

5月4日2014年の週報に掲載

 今週の木曜日から1週間の予定で訪日します。今回は、プライベートな休暇ですが、目的は叔母の納骨式の司式をすることです。福島の安達太良山という所にある教会の墓地で行います。おそらく40年ぶりくらいに二人の従兄に会うのも楽しみです。

 主日は、聖書学院教会での礼拝奉仕と午後のセミナーのご奉仕があります。(角田兄は、この教会で奉仕をしています)  月曜日は、ホノルル教会の集まりを聖書学院の中で行う予定です。火曜日は、名古屋に、節田八江子さんに会いに行きたいと思っています。他にも会いたい人が大勢いますが、身体が一つしかないのが残念です。覚えてお祈りください。

 今回は母の日を日本で過ごしますが、私の母も80歳となり、ここ1、2年で2度の大きな手術をしました。股関節と背骨と、外科の領域ですが、リハビリに励んでいます。母の家に宿泊しますが、兄弟が集まってお祝いをする予定です。

 ホノルル教会では男性陣が腕を振るってくれることでしょう。最近ご主人を天に送られた真柴さんの証しも楽しみです。きっと恵みが満ち溢れるでしょう。

 さあ、今週も御霊の実を結ぶ木として歩みましょう。

関牧師

2014年4月24日

4月27日2014年の週報に掲載

 風の強い日が続きます。ヤシの木が、今にも折れそうにしなっています。でも、不思議と折れません。あの“しなり”がいいのでしょう。

 私たちも、心に「しなやかさ」を持ちたいものです。心が堅いと、一見強そうに見えますが、人生の嵐が吹くと、意外と簡単に折れてしまいます。しかし、一見弱さそうに見えても、「しなやかさ」を持っていると、折れません。

 「しなやかさ」の秘訣は、根の強さにあります。根が強いから、あっちに、こっちに、吹かれても折れないのです。

 私たちは確かに、外から吹いて来る風に影響されます。情報の風、環境の風、人間関係の風…、それらに吹かれてあっちへ、こっちへ。しかし、しっかり真理に根差していると、影響はされるのですが、それに振り回されて倒れることはありません。

 私たちは、御霊の実を結ぶ木でありたいのです。この木が折れたら、実を結べません。どんなに嵐がやって来ても、折れない、倒れない、そんな木になりましょう。そのために、真理に根をしっかりと深く張りましょう。

 真理とは、イエス・キリストです。

関牧師

2014年4月17日

4月20日2014年の週報に掲載

 復活の主を、心から賛美します。

 多くの教会は、伝統的に日曜日の朝に礼拝をしています。もちろん、日曜日以外は、礼拝できないということではありません。私たちは常に、どこに居ても、神を礼拝する者たちです。

 日曜日の朝というのは、イエスが復活したのが日曜日の朝だからです。カレンダ―では、日曜日は週末ではなく、週の始まりです。ですから日曜日が左端にありますね。

 私たちは、この朝、天地を創造された神。私たちのために十字架で死なれ、救いを完成してくださった主イエス。今も、私たちと共にいてくださる聖霊なる神。この三位一体なる真の神を礼拝するのです。

 ここから新しい一日が始まり、新しい一週間が始まり、新しい人生が始まるのです。

 復活祭とは、キリストが復活されたことを記念する日です。主は今もいきておられる! これが私たちの信仰です。

 ご一緒に、主の復活を祝い、だたし昔の出来事を懐かしむのではなく、今も生きておられる主を喜ぶのです。

関牧師

2014年4月10日

4月13日2014年の週報に掲載

 いよいよ今日から受難週に入る。英語ではPassion Weekと言います。Passionとは、情熱と訳されますが、同時に痛みとも訳されます。メル・ギブソンが制作した映画「Passion」は、痛みの意味で、主のイエスの十字架の痛みを表しています。

 情熱と痛み。意味として結びつかないようにも思えますが、イエスの十字架の痛みは、神の熱情の愛のゆえであることを考えると意味が結びつきます。 神の私たち人間への愛は、無条件、無代価、一方的、ただ与えるのみ。最後には、十字架で命まで捨ててくださった。

 私たちは、十字架を必要としているのでしょうか?十字架を必要とするのは、罪人だけです。正しい人、無関心な人は、必要としません。なぜなら、私たちの罪の刑罰を身代わりとなって受けてくださったのが、十字架の死だからです。

 イエスの十字架は、私のために、私の罪のために、と言える者でなければ、十字架とは無関係です。私たちは、十字架を見上げる者ででしょうか。それとも十字架に敵対する者でしょうか? 受難週の時、共に十字架の主の前に立たせていただきましょう。

関牧師

2014年4月4日

4月6日2014年の週報に掲載

 受難節も佳境に入って来ました。今年は18日(金)7PM~日英合同でグッドフライデーの集会が持たれます。是非ご参加ください。
黙想の小冊子を配布して、礼拝後に分かち合いの時を持っています。まだ受け取っていない方は受付で頂いてください。

 今年の受難節のテーマは「御霊の実を結ぶために」です。そのために、まず御霊の実に対立するものを自分の内に発見すること。その肉なる思いを十字架につけてしまうということです。「対立」ですから、最後には「勝利」で終わりたいと願っています。

 「親切の実」「善意の実」、それは愛を動機として、愛を実践することです。この愛することに対立するものは、自己中心です。この自己中心を強化するものが「心の傷」です。私たちは、指先の小さな傷でも、痛みがあると全身の神経がそこに集中します。心の傷も同様に、その痛みに捉われてしまうのです。そうすると、常に自分の痛みが中心で、被害者意識に陥ります。私たちが愛するために生きるには、心の傷を癒していただいて、受けることから、与えることに生き方を変革することです。

関牧師

2014年3月27日

3月30日2014年の週報に掲載

 角田ファミリーが、とうとう明日(3月31日)、ハワイを発ちます。ビザも無事に降りて、家族揃って出発することが出来るようになりました。4年間の必要経費もすべて満たされました。ハレルヤです。

 先週は、としさんが証をされました。自らが通って来た人生の中で、傷を受けたり、刷り込みがあったり、そのようなものが、愛することを妨げ、あるいは愛されることも妨げるようになります。また、愛はあっても、愛し方においてずれてきます。自分が愛しているつもりでも、相手には愛として伝わらないことがあります。

 御霊の実の「親切の実」。それは、愛の実践です。この実に対立するものは? それは、心の傷です。そしてそこからもたらされる間違った価値観です。

 なぜ私たちに癒しが必要なのでしょうか? それは、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛するためです。つまり愛を実践するためには、心の傷が癒される必要があるのです。

 すでに私たちは「キリストの打ち傷」で癒されています。だからこそ、古い自分、傷に基づいた自分の生き方に決別して、新しい自分を生きるのです。

関牧師

2014年3月23日

3月23日2014年の週報に掲載

 いよいよ角田利光さん、愛美さん、愛架ちゃんが、日本へ出発します。主の働きのために、全てを捧げての献身の生涯のスタートです。この家族に主はどのような計画を持ち、どのように用いてくださるのでしょうか? 楽しみです!

 今年の東京聖書学院の新入生は10名だそうです。感謝です。無事2年生になる中川祐真兄も、訓練と学びを得ながら元気に学んでいます。お祈りを感謝します。

 先週は、寛容に対立するものとして「裁き」について考えました。主イエスが最も嫌われたのが、「裁く」ことです。私たちは、主が自分自身にしてくださっているのと同様に、自分に対しても、他者に対しても、寛容な者でありましょう。お互いが、その成長を「待ち望む」者でありたいと願います。

 今日は、としさんの証を通して、愛されること、愛すること、互いに愛し合うことについて考えさせられます。愛することに対立する肉とは何でしょう? 自分の内にそれはあるでしょうか?

 私たちの過去の経験が、愛され、愛することを妨げることがあります。それらを見出したら、十字架に釘付けにしてしまいましょう。

関牧師

2014年3月14日

3月16日2014年の週報に掲載

 今週は、アーサーホーランド師の十字架行進で、ハワイは盛り上がりました。彼の周りには、自然と人が集まってきます。普通ではできない、一つのことをやり遂げている人には魅力があります。

 アーサー師のような風貌で、タトゥーを入れ、ハーレーに乗って、サングラスをかけ、自らを不良牧師と名乗る。でも実際には不良どころか、超まじめな生活をしています。十字架を担ぐための自己節制、管理は半端じゃない。早寝早起き、日々のトレーニング、食事…。

 一緒に歩いて、多くの言葉が心に残り、学びました。恵みの一時でした。

 アーサー師とは、もう25年前、新宿の路傍伝道を一緒にしたことがあります。その頃の熱き想いは、自分の中で、今でも変わっていません。
 私たちが、愛に生きる、喜びに生きる、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制に生きることを妨げるものは何でしょう? アーサー師は、突飛なことをします。そうすると当然批判も起こります。それを突破して、なお十字架を担ぐのは、なぜでしょうか?

関牧師

2014年3月7日

3月9日2014年の週報に掲載

 先週は、受難節のための『黙想のしおり』を配布しました。まだ受け取っていない方は、受付で頂いてください。
又はインターネットで見ることも出来ます。ココをクリックして下さい。

 この時、自らの内にある「御霊に逆らう肉」をすべて十字架に釘付けにしてしまいましょう。本当の戦いは、自らの内にあります。この戦いに勝利して、御霊の実を結ぶ者とされましょう。

 今年のグッドフライデーのテーマは「勝利の十字架」です。真の勝利を得るために、この受難節の期間、自らの肉と向き合い、悩み、そして十字架の主のもとにまで導かれましょう。

 今朝の礼拝では、英語部のPastor Jon Pak先生がメッセージを語ってくださいます。初めての日語部の講壇にお招きします。どうぞご期待ください。

●この11日は、東日本大震災から3年目を迎えます。復興が進んでいる地域と、まったく進まない地域との格差があります。また原発の問題は依然として解決の見通しさえ立ちません。そこに住む人々、支援に携わっている方々を覚えます。私たちが「関心を持ち続ける」ことが、まず大切なことだろうと思います。中澤竜生先生からのニュースレターが同封されています。どうぞお読みください。

関牧師

2014年2月28日

3月2日2014年の週報に掲載

 今年の受難節は3月5日から始まります。今年も、十字架の恵みの深みまで導かれていきましょう。

 毎年言っていることですが、十字架のイエスと向き合い、そこで何を聴き、何を見て、何を感じて、どう応答するか、それが私たちの信仰の実質です。
   これが明確でないと、他の何があっても信仰は立ち行きません。

 今年は、「御霊の実を結ぶために」をテーマにしています。私たちの内にある御霊に逆ら肉を十字架につけることを求めていきます。
『黙想の手引き』が配布されますので、是非、個人で、ミニチャーチで、また礼拝後のスモールグループで用いてください。

 さて話は変わりますが、3月23日(日)、角田利光、愛美夫妻、愛架ちゃん家族の最後の礼拝となり、日本に発ちます。いよいよ東京聖書学院での学びに入っていきます。入学式は4月9日です。どうぞ、お祈りに覚えてくださり、みんなで支えていきましょう。

関牧師

2014年2月20日

2月23日2014年の週報に掲載

 先週は「誠実の実」について語りました。誠実とは、真実、忠実、信仰とも訳される言葉です。私たちは、神が約束に対して真実である方なので、信じることが出来るのです。私たちの信仰とは、神の真実に支えられているのです。

 なぜ三日坊主の私が、特別に意志の力の強い者でもない私が、信仰生活が30年守られているのか? それは、私の信仰でも、私の意志でも努力でもなく、ただ神が真実だから、ということだけです。

 神が主イエスを通して、語られたすべての約束が真実だからです。私が初めて聞いた神の御声「みよ、わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)の約束は、たとえ私が不真実であっても、神の真実は変わりませんでした。だから、私はここまで来れました。

 私たちの信仰は、神の真実のゆえに保たれているのです。そして哀歌の御言葉にあったように、その真実は力強く、朝ごとに新しいのです。永遠に変わることがないということです。

 この神の真実に支えられて、これからも神の約束を信じ切るものでありましょう。

関牧師

2014年2月13日

2月16日2014年の週報に掲載

 御霊の実についてシリーズでメッセージを語っています。「善意の実」とは何でしょうか? 「親切」が愛を行動することなら、「善意」はその行動の動機です。動機ももちろん「愛」です。

 主イエスの善意を特に強く感じる所が「宮清め」です。イエスの激しく、厳しい姿です。私たちは、動機が愛であるからこそ、そこには厳しが出てくるのです。

 私たちが、もし天の父の本当の子供であるなら、天の父は愛する子を懲らしめ、訓練するのだと聖書に書かれています。ヘブル12:5~13。 私たちが懲らしめを受けることが、天の父の本当の子供であることの徴なのです。

 天の父の動機は、愛しかありません。善意しかありません。愛する子の最善を計画し、祝福に満ちた人生を願っていてくださいます。だからこそ、私たちを懲らしめることがあるのです。天の父は、本気で私たちと関わっておられるのです。

 善意の押しつけというものがあります。動機は愛でも、方法において間違うことがあります。その時には、愛し方を学ぶチャンスです。御霊の実を豊かに結ぶものとなりましょう。

関牧師

2014年2月6日

2月9日2014年の週報に掲載

 先週のサンデースクールの時間、ユースたちが、「御霊の実」のジュースを持って来てくれました。9つのフルーツを持ち寄ってミキサーにかけて作ったジュースでした。美味しかったです。

 また、その発想にも感動しました。とても楽しいアイディアですよね。こうやって楽しみながら、御霊の実を意識していくのはいいです。飲めなかった方のために、またやって欲しいなと思います。

 さて、先回は「親切の実」について取り上げましたが、主日に語られたメッセージを意識させるような出来事が、その週にあることがよくあります。寛容の実なら、寛容や忍耐を意識させるような出来事。親切の実ならば、愛の行動について意識させるような出来事が起こることがあります。

 この一週間はどうだったでしょうか? 主イエスの愛を、文字だけではなく、実際の事として受け留めることがあったでしょうか? そこに感動という味わいがあったでしょうか? あるいは、他者に対して愛を実践することにおいて、チャレンジがあったでしょうか?「受けるよりも与える方が幸いである」という幸いを体験することがあったでしょうか?

 是非、毎主日に語られているメッセージを、その週に、いえ週だけではなく人生において実践することを意識してください。今日は、「善意の実」です。この実の味わいはどんなでしょうか。

関牧師

2014年1月31日

2月2日2014年の週報に掲載

 先週は、神奈川県の厚木ホーリネス教会から17名の方がホノルル教会に来訪してくださいました。空港から直行で来てくださり、主にある良き交流が持てたことを感謝いたします。

 私が24歳の時ですから25年前、神学生として厚木教会で1年間奉仕をしました。今回25年ぶりにお会いする方が何人もおられ、懐かしく当時のことを思い出しました。

 それにしても25年経っても変わらずに、教会で忠実に奉仕しておられる姿を見て本当に励まされました。当時の私は、若いと言えばそれまでですが、とにかく一生懸命に奉仕しました。力を出し切ったという感じでした。しかし、知恵と知識はまだまだ乏しく、失敗も多く、まさに訓練の場でした。

 その時の私ですべてを判断されたら、この人、牧師になって大丈夫かな? と思われたかもしれません。しかし、まさに「忍耐の実」ですね。ルカ13章9節~にあるように、もう一年待ってくださいと、私を召してくださった主イエスが忍耐してくださったのです。そして、諦めずに育ててくださったのです。いまだ成長の途上にありますが、今日まで来れたのは、ひたすら主イエスの忍耐と、教会の、そして妻の忍耐のゆえであることを思います。

主イエスは、すべての経験を肥やしに変えて、実を結ぶ者に育ててくださいます。どこまで忍耐し、待ち望んでいてくださいます。この主イエスの「忍耐の実」を受け入れましょう。

関真士牧師

2014年1月23日

1月26日2014年の週報に掲載

 とにかく「食べよう!」。イエスのくださる御霊の実を食べてお腹一杯になったら、肉の実など食べる余地もなくなります。教会という果樹園が御霊の実の木で一杯になったら、肉の実を結ぶ木など生える余地がなくなります。

 私たちは、イエスがくださる御霊の実を食べるのです。それは信じて受け入れることです。そして私たち一人一人が御霊の実を結ぶ木となるのです。

★今年から教会では「地域」を大切にしていきます。今日、初めて住居のある「地域別」に集まる時を持ちます。各地域の担当は、シェパード委員がなります。

 各地域で集まることで、ホノルル教会に集う方が一人も漏れることなく、祈られ、覚えられることになります。例えば、車が故障して礼拝に行けそうにない時。怪我をして買い物に行けない時。何か教会の奉仕をしたいと思った時。等々。担当者に連絡すればアイディアをくれます。または緊急時のための連絡網の作成もいたします。

 地域別の集まりに参加することで、何が責任ある働きを任せられることや、役割につくことなどは有りません。目的はあくまでも、人と人とのつながりを強化することにあります。神との関係と隣人の関係を強化することで、「破れない網」として教会が整えられることを願っています。

関真士師

2014年1月17日

1月19日2014年の週報に掲載

 南カリフォルニアでの新年聖会、ウェストLA教会での礼拝、伝道集会での奉仕も無事に守られました。皆様のお祈りに感謝をいたします。会衆の皆さんの信仰に、言葉が引き出されるようでした。御言葉が、参加者の一人一人の内に留まり、実を結んでいくようにと心から祈ります。

 「みんなで育てよう! 御霊の実」ということですが、御霊の実を結ぶためには、まず自分自身がその実を食べることから始まります。食べると種が残り、そこから実を結びます。

 さらに、実が結ばれるまでの過程において、私たちは「共に育てる」ということが大切です。
 「肉の実」を食べない、食べさせないこと。その人が結び始めている御霊の実をさらに育ててあげることです。励まし、共に喜ぶのです。

 ホノルル教会が、御霊の実の果樹園のようになり、ここに来れば、愛がある、喜びがある、平安があると、誰もが言えるような、そんな教会となりましょう。

 また来週は、日曜日の深夜便で出発し、サンディエゴで持たれる牧師リトリートに参加する予定です。ハードスケジュールが続きます。どうぞ体調が守られますように、お祈りいただければ幸いです。

関真士師

2014年1月9日

1月12日2014年の週報に掲載

 ホノルル教会が「御霊の実の果樹園」となる。アモス書9章14節から導かれたイメージです。愛の実、喜びの実、平安の実…、御霊の実が食べ放題です。今年は、御霊の実が大豊作! みんな食べに来てください!と呼び掛けられるような教会になりたいです。

私たち一人一人が御霊の実を結ぶ木です。その木として成長するためには、まず最初に私たち自身が御霊の実を食べます。すると種が残ります。その種が 育って、やがて実を結ぶのです。

 私たちは、まず主イエスご自身から、その実が一杯いただくのです。主の差し出される愛の実、喜びの実、平安の実…、食べるのです。

 食べるとは、信じて、受け入れて、自分のものとすることです。花を見て感動するだけではなく、実を食べて自分のものとするのです。そして私たちが結んだ御霊の実を、今度は、隣人に食べていただくのです。

 それでは、どうやって御霊の実を結ぶ木として成長してくのか、1月、2月をかけて御言葉から導かれていきましょう。

 今朝、英語部からクライブ・カウェル牧師を日語部の講壇に招いています。これからも日英両語部が心を一つにして、共に歩んでまいりましょう。  

関真士師

2014年1月7日

1月5日2014年の週報に掲載

 毎年恒例の年末祈祷を終え、外の花火の音を聞きながら、この文章を書いています。あと1時間で2013年も終わります。暑いハワイですが、雰囲気を出して暖炉で薪を燃やています

 年末祈祷会で一人一人の証を聞かせていただくのは、本当に恵みです。それぞれの人生の中で、神の恵みが確かにその歩みを支えてくださいました。神は真実です。ハレルヤ!

 さて、この週報には、松田ルース姉の証をインサートしています。ほとんどの方がご存じないと思いますが、私が2005年に赴任した時には、すでに高齢のために礼拝には来られなくなっていました。現在99歳(2月で100歳)、ヌアヌのホスピスに入り、主の時を平安の内に待っています。(31日現在)。

 以前、松田姉は、少女時代のことを話してくれました。ワヒアワにあった松田姉の家で家庭集会が行われていたのですが、それがホノルル教会の前身である、ワヒアワホーリネス教会の発足となりました。

 松田姉は、ホノルル教会を支えてきてくださった信仰の大先輩です。私たちが、今日もここに集まり、礼拝を捧げることが出来るのは、当たり前ではありません。この教会が今日まで存在し続けるために、多くの聖徒たちが、礼拝を守り、伝道し、奉仕し、捧げてこられました。改めて感謝を捧げます。私たちも、過去に感謝し、未来のために、信仰生活を励んでまいりましょう。

関真士師