2012年12月28日

12月30日2012年の週報に掲載

2013年の年間聖句は「わたしは、この岩の上に、わたしの教会を建てる」マタイ16章18節に導かれました。

On this rock’ がテーマコピーです。

 ホノルル教会の過去の歴史を振り返り、未来を眺めるとき、今は、「教会形成」という成長段階にあることが分かります。

 そこで、主イエスご自身が語られた
「わたしの教会」とは、どんな教会なのか?
「わたしが建てる」と言われた、建て方とか?
「この岩の上に」という、岩とは?

 主イエスが建てたち、主イエスの教会があります。私たちの建てたい、私たちの教会ではなく、主イエスが主語です。それが私たちが取り組んでいる教会形成です。

 新年から「On This Rock」をテーマにして、一年間かけて、私たちが立つべき「岩」をメッセージしていきます。

関牧師

2012年12月20日

12月23日2012年の週報に掲載

日本で毎年行われる今年の漢字一文字は「金」になりました。あなたが選ぶ漢字一文字は何でしょうか? ゆっくり考えてみたいですね。

今年のクリスマスは、特に「平和」ということがテーマとして導かれています。「平和を造る者は幸いです。その人は神の子と呼ばれるから」というイエス様の言葉が心に留まっています。そんな時にコネチカットにおける銃乱射事件が起こったり、ニュースには相変わらず争い事ばかりが載ります。思わず天を仰ぎ見ます。平和を押し潰すような出来事が起こります。しかし、だからこそです、だからこそ、祈りましょう、主を賛美しましょう、信じましょう、希望を告白しましょう。

平和の祈りとは、平和のただ中で祈るものではありません。それは、争いと分裂という痛みのただ中で祈るものです。平和の祈りとは叫びの祈りです。

どうしたら、夫婦、親子、家庭が、そして社会が平和になれるのでしょうか。聖書には「キリストこそ私たちの平和です。」とあります。ここにすべての答えがあります。平和を造る者としての使命を果たしていきましょう。

関牧師

2012年12月19日

東日本大震災後に南三陸報告

ホノルル教会、英語部教会員メンバーが宮城県南三陸町志津川に訪問され、礼拝で報告をなされました。 日本と南三陸のために引き続きお祈り下さい。

2012年12月14日

12月16日2012年の週報に掲載

ホノルル・マラソンのお祭り気分の前々日の12月7日は、ハワイにとって忘れることの出来ない真珠湾攻撃の日でした。ハワイにこのような平和が訪れるとは、当時の戦火の中にあった方々は想像できたでしょうか? いえ、きっとそんな平和を夢見ていたのかもしれません。

真珠湾攻撃の攻撃隊長として「トラトラトラ」(我奇襲に成功せり)を打電した淵田美津雄大佐は、米国への憎悪に満たされ、戦後の焼け野原を歩いていました。そこで配られていた一枚のチラシには、B29の爆撃手で日本軍の捕虜として過酷な拷問を受けたジェイコブ・ディシーザーの手記が書かれていました。

彼もまた、日本軍への憎悪に駆られていましたが、牢獄で読んだ聖書を通して回心し、戦後彼はキリストの愛を伝えるために宣教師となって日本に来ていたのでした。

この出来事を通して淵田大佐もまた、キリストに出会い、クリスチャンとなり、やがて伝道者になり、ハワイにまでキリストの愛を伝えるために来たのでした。
「キリストこそ、私たちの平和です。」聖書

関牧師

2012年12月7日

12月9日2012年の週報に掲載

この2週は証し礼拝が続きました。それぞれの証しを聴かせていただき、ただ主の聖名を崇め、感謝に溢れました。

一人の人がキリストのもとに導かれて救われる、それはまるで舞台のようです。脚本と演出は聖霊なる神です。私たちは、出演者として、それぞれの役割に応じて、その舞台に登場します。誰一人欠けても、その救いのドラマは成り立ちません。役によっては目立つ目立たないの違いはあるでしょうが、その重要度は同じです。

先に救われた一人一人が、神から与えられた賜物を活かし、それぞれが、その時に出来ることをする。そうすると、後で分かることですが、見事に一人の人の救いの舞台に、自分が参加していたことを知ります。それが教会の働きです。

お二人の証しを通して、教会とは何か? を考えさせられました。教会は人が集まる所です。ですから人の問題が全部ある所です。しかし、その人の集りである所に、キリストがご臨在され、そのキリストを人々が信じて礼拝するとき、そこは教会となるのです。ホノルル教会には、キリストのご臨在がある。だから真にキリストの教会であることを強く確信しました。

関牧師

2012年11月30日

12月2日2012年の週報に掲載

日本の冬は7年ぶりでしたが、木枯らしが吹いて本当に寒かった。皆様のお祈りの支えられ無事に戻りました。充実した一週間でした。聖書学院で吉田文人兄と会いました。とても良い奉仕をしています。三月の卒業まで最後の学期を迎えます。嬬恋で開催された帰国者クリスチャン大会は、600名近い人が日本中から集まり、とても素晴らしい学びの時となりました。ホノルルOHANAには大人21名、子供6名が集り、共に賛美して親交を暖めました。南三陸では中澤牧師夫妻と栄子さんに出迎えられて、志津川地区にあるクリスチャンセンターと被災地を案内してくださいました。

お話したいことが山ほどありますが、今回の訪日で一番感じたことは「人とのつながり」です。帰国者クリスチャンのサポートも、被災地支援も、すべて人とのつながりがポイントなのだと思いました。

ホノルル教会として、日本ために、日本の教会のために、被災地のために何が出来るだろうか? と考えていましたが、まず人と人をつなげること、人を支援すること、そんなことを考えています。 そして、それが実現実行できる教会として、もっと力を持ちたいと心から願います。

関牧師

2012年11月21日

11月25日2012年の週報に掲載

日本に行く前に、このコラムを書いています。日本はとても寒そうです。日本の冬は7年ぶりになりますので、身体が寒さにアジャストできるかなと、ちょっと不安です。

今日の聖日は、私は東京の中野にある新井ホーリネス教会でメッセージのご奉仕をしているはずです。そこは吉田文人兄がインターン生として奉仕しています。4年間の学びで、たくましくなっているであろう文人兄に会うのも楽しみです。

祐真兄が、最後の挨拶で「関先生のようにではなく」と言ってくれたことがとても嬉しかったです。常日頃、物まねではなく、自分のスタイルを見つけるようにと伝えてきたからです。「関先生を目標に」などと言われたら私は失望していたでしょう。その辺りの価値観は、一般的な考えとは違うのかもしれません。しかし、祐真兄は、イエス様に献身したのですから、牧師の弟子ではなく、イエス様の弟子となってほしいからです。

文人兄もそうですが、祐真兄も、按手礼を受けて牧師となるためには、最低でも9年はかかると思われます。すでに牧師となった井下泰文牧師も含めて、ホノルル教会が生み出した献身者のために祈りましょう。

関牧師

2012年11月15日

11月18日2012年の週報に掲載

 明日19日(月)~27日(火)まで日本に行ってまいります。今回の訪日の目的は3つあります。

 まず静岡で開催される「リターニーカンファランス」への参加です。これは海外でクリスチャンになって日本に帰国した方々の集まりで、励ましと情報交換のためです。
 そして25日(日)には東京のお台場でホノルルOAHANAの開催です。ホノルル教会つながりの方々が集まって、親睦と励ましの時をもちます。現在20名強の方々が参加を予定しています。
 もう一つは、南三陸を支えるクリスチャンネットワーク代表の中澤竜生牧師に教会からの献金を届けることです。どうぞ、旅の道中が守られ、よき出会いと奉仕ができますように、留守の教会と家族が守られますように、お祈りください。緊急事項があった場合は、執事までご連絡をお願いします。

 教会に図書のブログが開設されました。http://ameblo.jp/hccbook/ 教会には多くの蔵書がありますが、その中から、推薦本、新刊など、紹介していきます。教会の教育館の2階に本棚があります。ジャンル別に分類しました。どうぞご利用ください。ブログに本の読書感想文など書いてくださる方も募集しています。興味のある方は牧師までご連絡ください。

関牧師

2012年11月12日

11月11日2012年の週報に掲載

「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」 (第1 テモテ2:1-2)

 オバマ大統領が再選されました。またホノルル市長も選出されました。私たちは、選らばれた指導者が、神を畏れ、神の御前に伏して祈り、正義と公正によって国家を治めることができるように祈りましょう。

 中川祐真兄が、今日の礼拝を最後に帰日します。東京聖書学院での4年間の学びを通して、神の器として整えられていきますように。 私たちホノルル教会は、彼にとっての母教会となります。 祐真兄を生み出し、送り出した母教会として、これからも祈り支えていきましょう。 吉田文人兄はこの3月に卒業予定です。日本のどこかの教会に遣わされることになるでしょう。私は11月25日は、文人兄がインターン生として奉仕している新井ホーリネス教会の礼拝でメッセージをさせていただきます。どうぞお祈りください。

関牧師

2012年11月2日

11月4日2012年の週報に掲載

アメリカ東海岸を襲ったハリケーン「サンディ」の被害に心を痛めます。それにしても、なぜハリケーンに女性の名前を付けるのでしょうか? カトリーヌもそうですが、同名の方はいい気持ちではないでしょうね。

今回は、それでも事前にハリケーンが来ることが分かっていたので、避難する時間がありましたが、地震のように予測ができない災害の怖さもまた改めて感じました。しかし、分かっていてもどうする事もできない、自然の猛威の前になす術をなくす人間の弱さを痛感します。被害に遭われた方々と地域の復興のために、神の慰めと助けを心から祈ります。

ハワイにおいて度々出される津波警報に関しては、100回その警報がはずれても、必ず避難することです。どうせまた大丈夫だろうという油断は禁物です。教会と牧師館が避難場所です。遠慮する状況ではありませんから、必ずその時には避難をしてください。特に電話がつながりにくくなります。「どうぞ牧師館へ」という電話がなくても、自己判断で避難してください。

生きている限り、心が騒ぎ、不安になることがあります。しかし、その時にこそ「わたしの平安を与える」と言われた主イエスのことばを思い起こしましょう。目に見える状況がどうであれ、私たちの心の奥底にある平安は決して奪われることはありません。私たちは、主イエスの平安をいただいているのです。
「平安があれ!」   関牧師

2012年10月26日

10月28日2012年の週報に掲載

今年は、コナウィンドがよく吹きます。これが吹くと、ハワイ島からの火山ガスがオアフ島を覆ってしまい、蒸し暑くなります。気管の弱い方にとっては苦しい日々となります。

そんな中に貿易風が吹き始めると、一気に火山ガスを吹き流し、ハワイらしい爽やかな空気をもたらしてくれます。牧師館のあるマノアの谷には、今日もコオラウ山脈を越えて貿易風が吹いてきます。なんて気持ちいいんだろうと、何度も大きく息を吸います。

風の向き一つで、こんなにも世界が違ってくるのかと思います。人生には、様々な風が吹きます。時には、人生に暗雲をもたらすような風が吹くこともあります。しかし、そこに聖霊の風が吹いてくると、すべてが変わります。

聖書の中で、聖霊は風にたとえられています。イエス様は「風は思いのままに吹く」(ヨハネ3:8)と言われました。聖霊は人格を持った聖なる神の霊です。ですから、そこに聖霊の風が吹くには理由があります。

昔の訳ですと「聖霊はおのが好むところに吹く」とあります。聖霊の好むところに吹くのです。聖霊の好みとは? 愛と平和と信仰のある所はもちろんでしょう。しかし状況がどうであっても、一人一人が本気で主の十字架を見上げているところでしょう。

聖霊の風が吹いてきたら、帆を一杯に広げて、風の吹くままに進んでいきましょう。

関牧師

2012年10月19日

10月21日2012年の週報に掲載

 実は、2キロほどリバウンドしています。何のことかと言えば、体重です。このように書くことで、自らを戒め、ダイエットへのやる気を引き出そうとしているわけです。11月に日本に行きます。その時に、心おきなく食べられるように、これもダイエットへの強力な動機となります。何とかしてリバウンドをここでくい止めたいということです。

 最近、色々なところから、インターネットでメッセージを聴いてくださっているとか、教会のホームページから小冊子シリーズを読んでいてくださる方に出会います。日本に『リバイバルJAPAN』という雑誌があります。『境界線』を出版している出版社ですが、そこから月2回発行されています。この出版社の編集長の目に小冊子が留まり、今回雑誌に連載を執筆することになりました。

 50歳までに本を出すのが夢です。その夢に一歩でも近づいたように思います。とにかく「伝えたいことがある」のです。そのために語り続け、書き続けます。これもまた、このように書いてしまうことで、自らを鼓舞しているのです。

 私たちは、一人一人みんな神から召されています。牧師だけではありません。それぞれに神の賜物と使命、その人にしか出来ない尊い働きがあります。それはみんな違います。あなたの賜物が活かされ、用いられますように。あなたの、それは何でしょうか?

 『リバイバルJAPAN』は海外からも購読ができます。ホームページから注文できます。   http://www.revival.co.jp

関牧師

2012年10月12日

10月14日2012年の週報に掲載

ノーベル生理学賞を受賞した山中伸弥教授は、50歳の若さでの受賞となりました。IPS細胞の分野における多大な功績ということですが、山中教授はこれでに2度の大きな挫折を経験されたそうです。

一度目は、若い時に整形外科医の臨床医になったのですが、あまりの不器用さにミスを重ね、臨床医から研究者への道へと進路を変えました。

2度目の挫折は、米国への留学中に思った成果を挙げられなかったということです。その結果、日本のある大学の助教授となって研究を続けることになります。

扉が閉ざされるときは、別の扉が開かれている。

 自分の思った通りに物事が進まない、自分の能力を限界を知る、そんな時こそ、実は人生のチャンスであることを覚えておきたいと思います。人の危機は、神の好機です。

 挫折をチャンスに変える秘訣は何でしょうか? それは、まず今自分が出来ること、自分がするべきこと、目の前に置かれている事に対して忠実であることです。

 「あなたは、わずかなものに忠実だったから、私はあなたに多くのものを任せよう」(マタイ25:21)

投げず、腐らず、諦めず、今この時、自分がするべき事に忠実であるなら、必ず道は開けてきます。

関牧師

2012年10月5日

10月7日2012年の週報に掲載

先週1日~2日にかけて持たれたONE NIGHTキャンプも無事に終わりました。おもに中高生が15人くらい集って「性の尊さ」について学びました。英語部のユース・ディレクターをしているChris&Machiko夫妻をゲストスピーカーとしてお招きしました。思春期における「性」の問題について明確に聖書から語ってくださいました。

どうぞ、これからも教会の子供たち、若者たちのためにお祈りください。彼ら、彼女たちが、神の子供として、清く、正しく、心も身体も魂も健やかに成長していけますように。

そして、日本語部の子供のサンデースクールは毎日曜日11AMから持たれています。このためのスタッフも常に募集しています。志のある方がいたら声をかけてください。

2回の学びと、スモールグルプでの分かち合い、そして美味しい食事、ゴキブリに大騒ぎしながら、適度に叱られながら夜更かしして、アクティビティは、タンタラスの山登りでした。ホノルル教会の歴史を説明してから、みんなで寝不足の身体に鞭打って登りました。私も、カロリー消費のために頑張りました。

たったONE NIGHTのキャンプでしたが、参加した一人一人の心の中に、神の御心が留まっていくように祈ります。スタッフの一人一人の献身的な奉仕に感謝します。

大人のキャンプも、という声は以前からあるのですが、いつか実現したいですね。

関牧師

2012年9月27日

9月30日2012年の週報に掲載

先週は、日本の大学から来られた安東先生と行動を共にしました。先生は、石井十次の研究家で(明治時代に孤児院を創設したクリスチャンの福祉家)、その孤児院から3人の孤児が幻燈隊を結成して、ハワイにまで資金集めに来ているのです。1899年のことです。その足跡を調べるために、マキキ教会、ハリス教会をはじめ、ビショップ、ミッションライブラリー、日本文化センターなどを廻りました。

歴史研究というのは、ここまで緻密な作業なのかと初めて知ることはばかりで多くを学びました。「そのようです」とか「と思われます」といった表現は、歴史の資料にはならないのです。それが事実かどうかの裏づけがあって始めて資料となります。幻燈隊がハワイに来たらしい、ではなく、何年何月何日に、どこで、誰が、何をしたか、それらの記憶を丹念に調べ、膨大な資料の中から、一行の記述を探すのです。まさに宝探しのようでした。

ハリス教会の資料室において、当時の役員会の議事録がちゃんと残っているのですね。そこに「岡山孤児院から幻燈隊が来る」という記述があった時には、まさに宝物を発見したようでした。

私たちは、常に多くの情報に取り囲まれていますが、その中で、「確かなこと」はどれだけあるだろうか? と考えさせられました。~と思う、~のようだ。という表現が多いことに気づきました。数ある情報の中で、何が真実なのか、しっかりと見極めていくことが大切だと思いました。同時にホノルル教会の歴史も、しっかりと残していくことは、大切な責任なのだと考えさせられました。

関牧師

2012年9月20日

9月23日2012年の週報に掲載

イエス・キリスト。このお方について私たちはどれだけ知っているだろうか? 毎週金曜日11AMのガリラヤ聖書クラス。ここでは、おもに福音書から、イエス様と人との出会いの記事を通して、イエス様の実像に迫ろうとしている。なぜイエス様は、涙を流されたのか? なぜイエス様は憤ったのか? イエス様のことば、行動、感情…、イエス様の姿そのものを知りたいと願っている。

共に気づいたことを分かち合う中で、新しい発見がたくさんある。人それぞれの見方によって、イエス様の姿がこうも違うのかと驚く。そして自分が見ていると思っているイエス様の姿が、実はほんの一部にしか過ぎないのだと知る。それが失望ではなく、喜びとして感じられる。イエス様は、なんと素晴らしいお方なのかと、新しいイエス様の姿に出会うたびに、感動が増して来る。

例えば、色々な所で、色々な人が私のことを説明することがあある。「関さんてどんな人?」と聞かれたら、10人が同じ答えをするとは思えない。その答えは、その人と私との関係のあり方がそのまま答えになるだろう。単純な話、仲の良い人なら、「いい人だよ」となり、逆ならば「ちょっと困った人」となるかもしれない。

あなたが見ているイエス様は、本当にイエス様だろうか? 実は自分の願望が作り出した理想の「神」なんてことはないだろうか? 聖書を読むこと、祈ること、御心を行うこと、他者と御言葉を分かち合うこと、これらを通して、私たちはイエス様の実像に迫ることが出来る。イエス様をもっと知りたい。そして体験したい。イエス様が生きて働かれる世界、それが自分のものになるなら、こんな幸せな事はない。

関牧師

2012年9月14日

9月16日2012年の週報に掲載

今日は、敬老感謝のポトラックランチです。今回お世話になったウエストコビナ教会の中尾牧師は、敬老を敬労と表現していました。いいですね。今日は、敬労感謝の日です。

ホノルル教会では、敬労感謝の対象者は80歳以上です。ハードルが高いです。でも80歳を過ぎていても、こちらが「老」という言葉を使うのをためらうくらいに元気な方も大勢います。敬労という言葉なら使いやすいです。

80歳以上の方は、このアメリカにおいては特別な存在でもあります。80歳以上ということは、戦後67年の現在、戦後のアメリカに移民し、戦争によって傷んだ日米関係のただ中で、日系人の信頼の回復のために、まさに労してくださった方々です。

この方々の勤勉、正直、誠実、礼儀、忠節といった美徳が、戦後の日系人に対する信頼を回復していったということです。特に、このハワイにおける日系人の立場というものは特別です。米本土に行くならば、そのことが良く分かります。戦前、戦後のハワイの日系人たちが、いかに素晴らしい「日本人」であり、同時に「アメリカ人」であったことでしょうか。

しかし、現在の日本人は、その信頼を増すよりは、むしろ減じている面が多いのではないかと危惧したりもします。私たちは、人生の先輩方が築いてきた、このような社会的信頼という遺産を感謝し、大切にし、引き継いでいきたいと思います。

私たちは、信仰の先輩、人生の先輩であるお一人お一人に、敬労の心をもって、感謝を捧げたいと思います。

関牧師

2012年9月6日

9月9日2012年の週報に掲載

「幸せへの道 10の言葉」というテーマで「十戒」からメッセージをしてきましたが、11回かけて先週に終了しました。次週からは、「8つの幸せ」というテーマで、今度は新約聖書マタイの福音書5章から連続してメッセージを語りたいと思います。

 この箇所は、「山上の教え」と言われ、イエス様が小高い丘の上に座って語られた教えです。ここでイエス様は8つの幸いを語っています。最初の幸いは「心の貧しい人は幸いです」という言葉です。

 誤解を招きやすい表現でもありますね。「心の貧しい」とは、どのような意味でしょうか? しばらくの間、この「山上の教え」から、「幸せ」について学んでいきましょう。

 幸福感というものは、とても主観的なものです。その本人が感じるものです。周りから見て、どんなに不幸に見えても、本人は「幸福」を感じていることもあります。逆もしかりです。ということは、人間とはどんな状況、環境の中においても「幸福」を感じることの出来るものなのです。

 震災の後、何日も暖かい食物がなく、また何日もお風呂に入れず、そんな中で久しぶりに食べた暖かい味噌汁一杯に、温かいシャワーに、ものすごく幸せを感じたということを聴きました。自分もそうですが、幸福感とは、失った中に、弱さの中に、幸福とは思えない、むしろ不幸な状況の中でこそ強く実感されるのだなと思います。不思議なことです。

関牧師

2012年8月31日

9月2日2012年の週報に掲載

 最近出会った、カトリックの渡辺和子シスターの言葉をご紹介します。彼女は、陸軍教育総監、渡辺錠太郎の娘として生まれ、9歳のときに目の前で父が2.26事件の反乱将校に射殺されるのを目撃。後に修道女となり、36歳でノートルダム清心女子大学の学長に就任されました。それから今日に至るまで、教育者として珠言の言葉を多くの記しておられます。その内のいくつかをご紹介します。
関牧師

      「どうしても咲けないときもあります。そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと下ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」

      「信頼は98%。あとの2%は相手が間違ったときの赦しのためにとっておく。」

      「苦しい峠でも、必ず下り坂になる。」
      「今日より若くなる日はありません。だから
       今日という日を、私の一番若い日として
       輝いて生きてゆきましょう。」

2012年8月23日

8月26日2012年の週報に掲載

 調子に乗ってダンベルを使って筋トレをしていたら、手首を傷めてしまった。どうも47歳の身体の現実に、意識がついて行っていない。教会の多くの方々に、若い若いと言われるのでつい、その気になってしまいます。よく考えれば、お互いに年を取るわけで、私がどれだけ年を重ねても、その方にとって私は常に若いのです。ということで、今の身体に合ったトレーニングをしなければと考えている今日この頃です。

 最近、色々なところから、礼拝メッセージを聴いていますよ、というレスポンスをいただくことがあります。日本の、全く知らない方からも連絡をいただくこともあります。自分の語ったメッセージで、主の恵みに預かっている方がいることは、本当に嬉しいことですし、大いに励まされます。ある方は、数年前にホノルル教会に来られて、そこで語られたメッセージが「深く心に刺さり」、日本に帰ってから洗礼を受けられたとの、お便りをいただきました。とても嬉しいです。

 しかし、教会成長ということを考える時に、メッセージが良い、という事だけでは成長できないのです。そのメッセージにおいて明らかにされた「御言葉の真理」が、一人一人の聴き手の内側に種のようにして植え付けられ、根を張り、実を結ばなければ、ただ一時の満足で終わってしまいます。そして、容易に忘れられてしまうものなのです。

 そこで、教会にどうしても必要なのが、「御言葉を分かち合う」交わりなのです。「今日のメッセージは良かった」と言ってくださるなら、どこが、どのように良かったのか。「今日のメッセージは分からなかった」と言ってくださるなら、どこが分からなかったのか? 御言葉を中心にして、それぞれの応答を分かち合うのです。その時に、御言葉が個人的な恵みから、教会の恵みへと拡がっていくのです。 そんな場があったら素晴らしいと思います。

関牧師

2012年8月17日

8月19日2012年の週報に掲載

 8月15日は、日本にとっては終戦記念日という特別な日です。今年で67回目になります。アメリカにとっての対日戦争の終結は、日本がポツダム宣言に調印した9月2日を、その日として「V-J DAY」と呼びます。

 ある人は、この日は、終戦記念日ではなくて、敗戦記念日だと言います。たとえ敗戦であっても、大切な事実は、この8月15日に戦争が終わったということです。

 アメリカには「終戦」ということがあるのでしょうか? 第二次世界大戦が終わって直ぐに朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があり、湾岸戦争があり、イラク戦争があり、現在においても戦時下にあるのがアメリカであり、私たちは、その戦時下にある国で生活をしているのです。

 日本は敗戦しましたが、その代わりに終戦を得たのです。そしてこの67年間、一度も戦争を行っていないのです。アメリカは、勝ち続ける代わりに戦争を終えられないのです。しかし、日本は敗けた代わりに戦争を終えることが出来たのです。だから敗けた方がいいという単純な話ではありません。しかし、日本が敗戦することで、終戦を迎えることができ、そして戦争をしない国となったのは、戦争を知らない世代の私にとっては「恵み」です。

 その敗戦という過程の中で、東京大空襲があり、原爆投下があり、沖縄戦があり、筆舌に尽くしがたい苦難がありました。その犠牲と言えば、あまりに大きな犠牲の上に、その恵みがあることを思います。

 そこにキリストを見ます。私の知らない所で払われた犠牲の上に、今の平和があるのです。しかし、日本は別の意味で「戦争」があります。自殺者の数は未遂者まで入れると一年間で30万~60万人です。この数は、もはや戦争のレベルです。今度は私たちが、次の世代に、平和を残す役割があるのだと思います。

関牧師

2012年8月9日

主は御座におられる (PW134)

力ある主の御名を (PW179)

8月12日2012年の週報に掲載

今日は、年に一度の「心に光を」講壇交換です。ホノルル教会には、オリベット・バプテスト教会から渡辺牧人先生をお迎えしています。牧人先生と私との出会いは、もう27年前に遡ります。私は当時20歳でサンノゼに住んでいましたが、牧人先生はサンフランシスコの教会で神学生として奉仕をされていました。地域の青年会の集まりで良く顔を合わせていたのです。

しかし、私はその頃、クリスチャンになり立てで湯気が立っているような時でして、すでに神学生であった牧人先生が、とても眩しく見えました。今こうして、同じオアフ島で二人が牧師としてご奉仕している不思議さに感動し、主を崇めています。

お互いに、あの爽やかな青年時代を想いながら、今ではお腹をさすりながら、風になびく髪の毛に哀愁を感じながら、しかし当時からの主に仕える熱い心は変わりません。牧人先生は、その当時から常にギターを片手に、自作の賛美を歌っていました。心の思いを賛美として表現されるのも先生の賜物です。

「心に光を」は、月~金 2:45PM~3PM AM1210 KZOラジオから放送されています。月曜日は正木茂先生、火~金はハワイの牧師が交代で担当しています。1981年にスタートし、今年で31年目を迎えました。これまで、この放送を通して、数え切れない多くの方々がイエス・キリストを信じました。その中には、ホノルル教会で救われ、現在日本で牧師をしている井下泰文先生もおられます。彼は、その放送内容にクレームをつけるためにスタジオまでやってきて、そこで北村姉に導かれて教会に来たそうです。

「心に光を」放送の諸経費は、すべてクリスチャン有志一人ひとりの尊い献金でまかなわれています。どうぞ、このラジオ伝道という働きのために、お祈りと献金をお願いいたします。

関 牧師

2012年8月3日

8月5日2012年の週報に掲載

十戒から連続メッセージを語っています。後半に入って来ましたが、両親を敬うこと、殺人、姦淫、盗み、偽り、欲しはいけないと続きます。これらは、当然のこととして、してはいないと誰でも分かっていることです。人間の内にある良心は、これらが悪いことであることを私たちに教えます。

しかし一方で、私たちはいとも簡単なように、これらの戒めを破ります。そして、破る時には、それなりの理屈を作ります。これらの「してはいけない」を「しても構わない」に変えるために、ありとあらゆる理屈を作ります。屁理屈から、もっともらしい理屈まで色々あります。しかし、それらは結局のところ、自らの悪を肯定するための理屈であり、と言うことは、そのような理屈を考えること自体が、自らの悪を認めているという事になります。

今日、取り上げる「姦淫してはいけない」という戒めもそうです。性の交わりは、結婚関係において与えられた神からの祝福です。しかし、それが結婚関係以外において行われるときに、それは災いに変わります。「性」とは、人格です。この戒めを破りたい人は、「自分に正直に」とか、「愛は自由だ」とか、「性の解放だ」とか、色々な理屈を考えますが、どんな理屈があっても、時代が、流行が、マスコミが、どうであっても、「姦淫してはいけない」のです。

以下のことは「してはいけない」ことです。

    結婚前に、性的関係を持つこと。

    夫婦以外の者と、性的関係を持つこと。

もし、私たちが、神の正しい道に歩んだら、必ず祝福されます。しかし、それを破ったら、必ず混乱、痛み、苦しみがあります。しかし、もし破ったとしても、心から神のもとに立ち返り悔い改めて福音を信じるなら、全ての罪は赦されます。全ての罪は清められます。この混乱した時代にあって、もう一度、十戒に目を留めましょう。
関 牧師

2012年7月27日

7月29日2012年の週報に掲載

「なぜ人を殺してはならないのか?」 このような質問が小学校の生徒から先生に対して出されたそうです。この質問が出ること自体に驚きが起こりました。この質問に、答えなど必要なのだろうか? これは人間の良心に宿っている、本能的な、無意識的な「内なる掟」ではないのだろうか?

多くの大人が、この質問に不安を感じました。なぜなら、この質問には、人を殺したいと思っている状態があり、それで「殺してはいけないとは思えない」という心理を感じるからです。

ニヒリズムを生み出した哲学者ニーチェは、あの有名な一言「神は死んだ」と言いました。ニーチェは、上記の質問に対して答えています。それは、「重罰になる可能性をも考慮に入れて、どうしても殺したければ殺すべきだ」と言うのです。そして、ニーチェの研究家である、ある大学教授は、これこそ最も誠実な答えであり、上記の質問に誠実に対するなら、このような答えしかないというのです。

「これはひどい!」と一蹴しないで考えて見ると、確かに「神がいない」という前提で考えるなら、人が人を殺してはならないという理由は見つからないのです。

上記の質問に対して「殺してはならない」と確かな理由をもって答えることが出来るとするなら、「神はいる」という前提が絶対に必要なのです。先の生徒の質問に先生と周りの大人たちが、どのように答えたのか分かりませんが、命の源である創造主なる神の存在があって、初めて「殺してはならない」の理由が見出されるのです。

優劣と淘汰という進化論的価値観、そこから生じる、命の軽視が人々の心を蝕んでいます。ある教育学者は、いじめに関して「これは、教育の失敗ではなく、教育の成果だ」と述べていました。神なき世界観、価値観に基づく教育の必然的結果であると。「神はいる」ここから初めて、命の意味、尊さが分かるのです。

関 牧師

7月22日2012年の週報に掲載

フランスの女性詩人 マリー・ノエルの詩をご紹介します。タイトルは『疲れきった者の祈り』です。
    わが神よ、私はあなたを愛しません。
    もう愛そうなどと思いません。あなたが嫌になりました。
    もしかすると、あなたを信じてなどいないのです。
    でも、通りすがりに、私に目をかけてください。
    もし、私があなたを信じるほうがよいのなら、私に信仰をください。
    もし、私があなたを愛するほうが大事であるのなら、私に愛をください。
    私には、そのようなものが何もありませんし、そのために何かをなすこともできずにいます。
    私が持っているものを、あなたに差し上げます。
    私の弱さ、私の痛み、また、私を悩ますこのような気づかい、そして、あなたがご覧になるもろもろの事がら・・・。

    私の状態のみじめさ----それがすべてです----、
    そして、私の希望を。

関 牧師

2012年7月12日

7月15日2012年の週報に掲載

「十戒」の連続メッセージをしています。今日は、その第4戒の「安息日」についてです。先の3つの戒めは、神を愛することについて、そしてこの後の6つの戒めは、人を愛することについて記されています。その両者を結ぶようにして、この第4戒があるのですが、その内容は「休みなさい、休む日を設けなさい」ということなのです。

一週間という7日間のうち、一日を「聖別」して、休む日にしなさいというのです。休日を「Holyday」と言いますが、まさに聖なる日(Holy DAY)なのです。
興味深いですね。神を愛することと、人を愛すること、この「愛する」という生き方の中心に、「休み」があるのです。

私たちは、もう一度、休むことの大切さを認識したいと思います。
何のために休むのか? 休みの中で、何をするのか?
 身体的な休み、心の休み、霊の休みとあると思いますが、全人的に休むということは、どのような事か? 仕事は休みで、時間もあるけれでも、頭の中はまったく休んでいない時もありますね。自分の全存在が休むということは、どうしたら出来るのでしょうか?

 日本では、仕事中毒とは、過労死などという言葉があるくらいですが、ハワイに住む私たちは、どうなのでしょうか?
 などなど色々考えさせられます。「休む」ことを、神が戒めの真中においたという事の意味の深さを今一度考えてみましょう。

 主イエスの時代には、この安息日をどう扱うかが大きなポイントでした。「安息日のために人がいるのではなく、人のために安息日があるのです」と語られました。
あなたは「休んでいますか?」

関牧師

2012年7月6日

7月8日2012年の週報に掲載

LAから土曜日の夜にホノルルに戻り、洗礼式のために朝5時頃、用があったので教会に立ち寄りました。ドアを開けて教会の中に入った瞬間、なんとも言えない安心感に包まれました。会堂の匂い、雰囲気にホッとしました。ここには、確かに主がおられると思いました。

教会とは、この世のいかなる集団とも違います。似ている面はあるにしても、教会は教会です。教会は、キリストをこの世に証しするために存在しています。それは宣教であり、伝道です。また同時に、教会が教会として存在し続けるために必要なものは何でしょうか?

教会の中心とは何か? ジョン・バニエという司祭は、それは「赦し」だと言います。彼はラルシュ共同体という知的障害者の方々との共同体を世界各地に形成しています。共同体とは、生活を共にする場です。教会の究極的な形とは、生活を共にすることでしょう。

バニエは、共同体を形成する中での体験を元に多くの宝言を語るのです。多くの人々が、共同体に自らの居場所と、存在目的を探して参加してくる。しかし、そのような理想郷は共同体にはない、というのです。あるのは、隣人を愛することの出来ない自らの弱さと貧しさであるというのです。しかし、その弱さ、貧しさの中で、人々が十字架のイエスを仰ぎ見るとき、初めて共同体は成立し、継続されるのです。そこには「赦し」があるからです。共同体にある一人一人は、十字架のもとで「赦し合う」ことによってのみ結ばれるのです。

ここが、教会が教会であることの徴でしょう。それぞれの弱さ、貧しさ、罪深さが、見過ごしにされるのでも、放置されるのでもない。また断罪されるのでも、切捨てられるのでもない。ただ主の十字架のもとで、共にイエスを仰ぎみるのです。もし、教会の中で、この世と同じような人間同士のトラブルが起こるとするなら、それが許されている理由はただ一つです。それは、自らが主の十字架のもとに行くため、これがただ一つの理由です。そして、これが教会が他の集団とは決定的に違う点なのです。教会とは、この点において強い教会となりたいと心から願わされます。

関牧師

2012年7月2日

7月1日2012年の週報に掲載

ハワイ聖会も恵みのうちに終了し、またLAにおける修養会の参加を終えて、無事にハワイに戻りましたと、出かける前から書いています。

 ハワイ聖会において、横山幹雄先生を通して語られる神の愛のメッセージは本当に心に染み入るようでした。また先生ご自身の人柄と言いますか、その存在から溢れるような喜びが私たちにも伝わってきました。3回目の聖会では、それぞれが神への献身を新たにしました。ここからハワイの宣教がさらに力強く始まっていくのだと信じます。聖会のCD、DVDがありますので、どうぞお求めください。

 今朝は、アラモアナビーチで、喜びの洗礼式がありました。天にも地にも喜びが溢れているのを感じます。ハレルヤ! 洗礼を受けられたお一人お一人の、新しい人生の祝福を祈ります。私もイエス様を信じて、洗礼を受けたという方は、いつでも牧師に声をかけてください。

 また今朝は、中川祐真兄の証しがあります。彼はこのホノルル教会でクリスチャンとなり、神の召しを確信して、この4月より東京聖書学院という神学校に入学する予定です。現在学んでいる吉田文人修養生は、この三月に卒業ですから、ちょうど入れ替わりになります。

 ホノルル教会から、このような神の働き人が起こされることは、本当に嬉しいことです。日本では牧師不足が大きな問題ですが、神に全存在と生涯を捧げて仕えていく、そんな働き人が求められています。人それぞれ、働きは違いますが、共に献身の道を歩みましょう。関師

2012年6月22日

6月24日2012年の週報に掲載

とにかく明日にむかって出航しました。先の総会で教会の組織体制への変更が承認されました。しかし、何が承認されたのか、今一つ明瞭でない感じもいたしますので、フォローします。

教会の将来のためには、組織体制の変化が必要であること、そのために、シェパード・チームを組織することが提案されたわけです。そこで承認されたことは、執事会が、この一年間かけてシェパードチーム体制への移行作業を行っていくことを承認していただいたのです。
ですから、完全に組織体制が変わったわけではなく、変わるための作業を開始することが承認されたということです。

また、シェパード・チームは何をするのか? これまでの執事会体制と何が違うのか? ということは、この一年間実践しながら、教会の皆様に説明を繰り返していくことになると思います。そして、次年度の総会の時に、改めてシェパード・チーム体制が提案されることになります。

試行錯誤の時期ですから「ぶれ」もあると思います。しかし、ホノルル教会の理念と目的は決して「ぶれ」てはいません。「キリストの体としての教会形成という理念と、宣教という目的」これは揺るぎません。この事のための組織変更です。皆様の祈りとご理解をお願いいたします。

関 真士牧師

2012年6月14日

6月17日2012年の週報に掲載

教会のリニューアルに動きが出てきました。この7月の半ばには、駐車場の舗装を新たにする工事が行われる予定です。この建物の増改築の目的は、あくまでも宣教です。今いる私たちの、快適さ、便利さではありません。なぜなら教会とは、宣教するために存在しているからです。

教会の建物を増改築する理由の一つは、人が増えることへの対応です。教会に人が増えることの理由は? 人が救われることです。つまり、これから、もっと多くの人が救われてほしい。そうしたらもっと人数を収容できる建物が必要だということです。

そして、この宣教へのビジョンは、「神の御心」であるという確信が、リニューアルの原動力です。ですから、教会の増改築は、すべて「宣教」への情熱から生まれるのです。

その情熱は? というと、一人一人の信仰のリバイバルから生まれるものです。これは人間が操作できるものではありません。一人一人が聖霊の火をいただくのです。何のためにエレベーターが、何のために大きなキッチンが、何のために多くの部屋が必要なのでしょうか?
すべては宣教のためです。これから救われるであろう、教会の外の人のためなのです。一人一人の信仰のリバイバルために、ハワイ聖会は最高の機会です。求めて参加をしましょう。

関 真士牧師

2012年6月8日

6月10日2012年の週報に掲載

この主日礼拝は、日英講壇交換です。今回は、通訳なしで英語で語ろうと決めました。ホノルル教会には、素晴らしい通訳者がおられるのですが、時間がフルに使えるのと、やはり自分もチャレンジしなければならないと、思い切りました。

とは言っても、もちろん翻訳はお願いしています。それを読むのですが、何と言っても発音ですね。皆さん自分の話していることが分かってくれるだろうかと、ちょっと不安ですが猛練習します。
普段、原稿を持たないスタイルなので、完全原稿を用意し、その場で内容を変えられないというのも、また大きなチャレンジです。しかし、自分にとって普段と違う事をするのも、また世界が拡がるチャンスだと思っています。

それにしても、英語はもっと上達したいですね。私の英語教育は中学2年生で終わっています。あとは睡眠教育でした。でも19歳の時にサンノゼで、コックとして寿司バーに立っていたことがありますので、魚の名前だけは知っているほうです。

日本語部では、ラッセル比嘉牧師がメッセージを語ってくださいます。今日も、主が語ってくださる御声に耳を傾け、御言葉を受け取っていきましょう。

関 真士牧師

2012年5月31日

6月3日2012年の週報に掲載

「マルモのおきて」というドラマを見てしまいました。ドラマがヒットする条件に、子供、ペットという要素があるそうですが、まさにお決まりの筋書きなのですが…、分かっていても涙している自分です。

「マルモ」の親友が亡くなり、その親友の双子を引き取って育てるという物語ですが、この双子が「愛菜ちゃんと福ちゃん」で、大人気となったわけです。マルモと双子がぶつかりながら、試行錯誤しながら家族になっていくのですが、その中で「おきて」を作っていくのです。「遠慮は無用」「子供は子供らしく」「離れ離れでも家族」などなど。それが「マルモのおきて」なのですが、その「おきて」は、愛情から出たもので、幸福を願ってのものです。

本日から「十戒」をテーマにメッセージを語っていく予定です。ですから最低でも10回は続きます。「十戒」というと何か重たい、怖いイメージがあるでしょうか? しかし、これこそ「神のおきて」であり、そこには天の父の愛情と、神の子たちに幸福になってほしいという願いが込められているのです。

タイトルを「幸福への道 10のことば」としました。十戒の始まりには「わたしは、あなたの神である」という言葉が枕言葉のようにしてあります。(出エジプト記20章を参照) ご一緒に「神のおきて」を学び、真の幸福を手にしましょう。

関 真士牧師

2012年5月28日

5月27日2012年の週報に掲載

今日はメモリアルデイでもあり、ペンテコステでもあります。聖霊降臨の出来事と、メモリアルデイと、何かつながりはないのでしょうか? 今日の礼拝で語らせていただくエペソ書1章13、14節では、聖霊とは、御国を受け継ぐ保証であるとあります。

聖霊が内に宿ると、天国が意識されるようになります。そして希望がもたらされます。

聖霊とは、精霊ではありません。聖とは、神の御性質を現す言葉です。聖霊とは、聖なる神の霊 という意味です。ですから、人格(神格?)があります。感情があります。好き嫌いがあります。聖霊は、得体の知れない諸霊ではなく、何かのパワーもありません。天地万物を創造された神の霊なのです。

創世記2章7節「神である主は、土地の塵で人を形造り、その鼻に命の息を吹き込まれた」とあります。実際に、この土の中には、人間の肉体の形成に必要な要素、成分はすべて含まれているそうです。しかし、「命の息」が吹き込まれて、初めて人間は生きる者になりました。この「命の息」こそが、「聖霊」なのです。イエス・キリストを信じるとき、私たちの内に聖霊が宿ります。その時に、私たちは本来の神に造られた人間としての姿を取り戻すことが出来るのです。

関真士牧師

2012年5月18日

5月20日2012年の週報に掲載

全世界で8億人が登録していると言われるフェイスブック。
ホノルル教会のフェイスブックhttp://www.facebook.com/hccjapan

 一昔前は、伝道というと、まずトラクト配布から始まったものです。学校の前や、駅前や、家々のポストに入れたり、ひたすらトラクト配布していた思い出があります。何とか、一人でも多くの人に福音を伝えたいという一心で、ある時は新宿の路傍で、福音を叫んだこともありました。

しかしインターネットの出現で、伝道方法も劇的に変わりました。ホームページから始まって、ブログがあり、フェイスブック、ツィッターと拡がります。次は何が来るのでしょうか?

正直、この状況が いつまで? どこまで? 続くのか懐疑的になる面もあります。リスクもあります。しかし、一人でも多くの人に、このキリストの福音を伝えたいという一心で、フェイスブックに登録しました。その道に詳しい方にヘルプしてもらいながら、より効果的な利用が出来たらと思っています。

全世界に出て行って全ての造られた者に福音を伝えよ、と主イエスは語られました。オフィスにいながら、まさに世界中に福音を伝えられるという、ある意味で夢のようです。

「伝道」これが教会の使命であり、存在意義です。

関牧師

2012年5月11日

5月13日2012年の週報に掲載

母の日の由来をご存知でしょうか。1908年ウェストバージニア州のメソジスト教会にミセス・ジャービスという教会学校の先生がいました。彼女は26年間、教会学校で教えたそうです。ミセス・ジャービスが召された時、娘のアンナは、葬儀の時にカーネイションを飾り、参列者にも配ったそうです。これがきっけとなり、教会で5月の第二主日に「母の日礼拝」が捧げられるようになりました。

日本で初めて母の日の行事が行われたのは明治の末期頃で、大正四年に教会で祝われ始め、徐々に一般に広まっていきました。一般に広く知れ渡ったのは、昭和12年(1937年)森永製菓が広告を始めたことがきっかけであったそうです。森永製菓の創業者である森永太一郎は熱心なクリスチャンで、チョコレートやキャンディを屋台に積んで行商しましたが、その屋台には「キリスト・イエス罪人を救わんために世に来たりたまえり」という看板が掲げれていました。彼は「ヤソの菓子屋さん」として有名になったそうです。

母の愛とは、この地上で最も神の愛に近いものだと言われます。どこまでも深く、広く、暖かい、受容の愛です。しかし、その母性愛というものが、「母とはこうあるべきだ」という神話を作り出し、それが逆に「母」を追い詰めているという事も指摘されます。

私たちは「母の日」の今日、母への感謝の思いを持ちたいと願いますが、同時に、母の愛にまさる「神の愛」の思いを向けていきたいと思います。

関師

2012年5月3日

5月6日2012年の週報に掲載

アロハタワー
最近の日本からの報道によると、成人男女の4人に一人が、本気で自殺を考えたことがあるとのことでした。大変な数字です。

その内の約半数が、人に相談したり、助けを求めることにためらいを感じています。それは、家族に、友人に、職場に迷惑がかかるというのです。

まさに「日本人的」です。自分が死ぬほど追い詰められているのに、それでも廻りの人のことを考えているのです。しかし、それは、優しさからくる配慮ではなく、「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉の呪縛に縛られているのです。

「人に迷惑をかけてはいけない」 子供を育てる上で、大切な躾けの一つとして多用されるセリフです。 しかし、その「迷惑」とは何か? が問題です。私たちは、多くの他者と共に生きている存在です。困った時にはお世話になったり、助けられたり、また時には、する側になったり、そのようにお互いに助け合いながら生きているものです。それが「迷惑」をかけることになるのでしょうか?

本当の迷惑とは、相手を傷つけることでしょう。偽り、悪意、憎しみ、妬み…、これらは人に与えていけないものです。

お互いに助け合い、思い合うこと、いいではないですか。中には、神さまに迷惑をかけてはいけないと思って、自分の重荷を降ろせない人がいるでしょうか? 人にもそうですが、神様にはもっともっと「ご迷惑をお掛けして」いいのではないでしょうか?

関師

HCCディサイポーズ

ホノルル教会のヤングアダルトのブログです。

2012年4月27日

4月29日2012年の週報に掲載

とうとうZUMBAに行きました。踊ることは気持ちいですね。一応、元竹の子族として踊りには自信がないわけではありませんでしたが、どうにも身体がついていかなくて困りました。でもいい汗を流しました。

最近、体脂肪率を計れる体重計を購入しました。さっそく体重を計ると、何と以前に使用していた体重計と1キロ位の誤差があって、新しい方が1キロ多く表示されるのです。ショックです。どっちが本当なのでしょうか?

「計り」は大事ですね。これが違っていたら、すべてが違ってしまいます。自分の存在の価値は、何によって計られるのでしょうか? 世間様の価値観。あの人、この人の価値観。自分のセルフイメージ、流行? マスコミ?

 自分という存在の価値を計るもの、それは「私」を造ってくださった神だけです。そして聖書は、その神の計りです。この計りは絶対に狂ったり、間違ったりしません。しかもどんな時でも変わりません。誰に対しても同じです。
 その計りの基準は、「愛」です。
神を愛し、隣人を愛すること。
そして神に愛されていること。
愛すること、愛されること、です。


毎日体重計に乗るようにして、毎日、神の言葉、聖書の計りで、自らの存在の価値を計り、人生の歩みを判断していけば、間違いないでしょう。

関師

2012年4月23日

4月22日2012年の週報に掲載

しばらく農園の土を休ませていましたが、また種を蒔きました。大根、カブ、春菊、オクラ、小松菜などなど。しかし、どうやら鳥が種を食べているみたいです。
それにしても、土に埋めている種をどうやって見つけるのでしょうか? 鼻は利かないし、目でも土の中は見えないし、匂いかな? KZOOのもしもし相談室に電話しようかな…。

イエス様は、種まきの譬え話をしてくださいましたが、悪魔は御言葉の種を奪い取ろうとしています。よく礼拝堂の外では、悪魔がカラスのようにして、御言葉の種を食べようと待っていると言われます。しかしイエス様は「御言葉を聴いて、それを悟る人」は、百倍の実を結ぶと言われました。(マタイ13:18~)

  • 礼拝の中で御言葉が語られる時、次の三つ事が大切になります。

    • 理解すること。受け入れること。応答すること。
    感覚や感情ではなくて、知性としてよく理解すること。
    その御言葉に対して「同意」して、信じること。
    その上で、具体的に応答すること。

    これが種が取られない秘訣です。100倍の実を結びましょう。

    関師

    2012年4月13日

    4月15日2012年の週報に掲載

    私たちは、受難節、復活祭を共に過ごしました。すべては、十字架と復活から始まります。この後、祈り待ち望む弟子たちに聖霊が降り、力強い宣教が始まっていきます。
    いただいた恵みを、内側に留まらせることなく、外に向かって大胆に流していきましょう。しばらく「臨在」を鍵語にしてメッセージを語っていきます。どうぞお祈りください。「大胆シリーズ」の証しをしてくださる方も引き続き募集中です。是非、与えられた情熱、ビジョンを分かち合ってください。

    話は一気に変わって、とうとう一線を踏み越えてしまったといいますか…、自分でラーメンを作ってしまいました。チャイナタウンでガラを買ってきて、スープ作りに挑戦しました。ちょっと臭みが出てしまいましたが、まあまあ食べられました。しかし全く満足はしていません。
    また挑戦します。この奥深い世界に足を踏み入れてしまった以上、もう引き返せません。いつの日か「ゴスペルラーメン一杯$5、店主のメッセージ付き」を販売できたならと… これは冗談です。

    ホノルル教会の若者のグループ「DISCIPLES」が、ブログを開設しました。http://honoluludisciples.blogspot.com どうぞご覧ください。

    関牧師

    2012年4月5日

    4月8日2012年の週報に掲載

    今日は復活祭です。イエス・キリストの復活を心をお祝いしましょう。主は今生きておられる! これが私たちの信仰です。
    また皆さんへの問いかけです。

    

    イエスさまの墓は空っぽ
    「主は今生きておられる」この真理は、自分にとって何を意味するのでしょうか? だから何なのでしょうか?
    この真理は、ただの字句ではありません。これは事実であり、現実です。この事が体験的に理解されるとき、自分の内に何が起こるでしょうか? 教会に何が起こるでしょうか? それこそクリスチャンの醍醐味です。

    復活の主が臨在されるなら、そこに御業が起こります。臨在とは、もたらすものではなく、気づくものです。認めることです。

    ある方が賛美集会の中で、「あそこで音程が狂った、あの時に臨在が無くなった」と言いました。それは臨在が無くなったのではなく、音に気を取られて、臨在から心が離れたのです。臨在はあるのです。

    主は今生きておられるのです。それは事実であり、現実です。私たちは、霊の目を開いていただいて、主の臨在に気づけるものとさせていただきましょう。


    関牧師

    2012年4月1日

    4月1日2012年の週報に掲載

    今日は「棕櫚の主日」です。英語ではPalm Sundayと言います。イエス様がエルサレムに入られるとき、民衆が棕櫚の葉を道に敷いて迎えた所から付けられた呼び名です。

    棕櫚というのは、その昔、ローマ帝国に抵抗した将軍を棕櫚の葉を振って讃えた所に出処があります。つまり民衆は、イエス様をローマ帝国を滅ぼし、ユダヤ国家復興のヒーローとして迎えているのです。それに対して、イエス様は軍馬ではなく、子供のロバに乗って来られたのです。しかも剣を持たずに丸腰です。この5日後に、イエス様は捕らえられ十字架につきます。その時イエス様を歓呼の声で迎えた民衆は、「イエスを十字架につけろ」と叫び始めたのです。自分の期待に応えない、自分の願いをかなえないイエス様に対して心を翻したのです。

    あの人を罰してくれと願ってもかなえられません。その代わりに「赦しなさい」と語られます。
    あの人を変えてくれと願ってもかなえられません。その代わりに「自分を変えなさい」と語られます。
    自分の欲望を満たしてくれと願ってもかなえられません。その代わりに「神の御心に従いなさい」と語られます。

    関牧師

    2012年3月22日

    3月25日2012年の週報に掲載

    先週は、礼拝に関するアンケートを配布しましたが、皆様からのレスポンスをいただき感謝いたします。まだ受け付けていますので、今からでも提出してください。
    礼拝のメッセージに対する要望もいくつかいただきました。それぞれのご意見に耳を傾けながら、より良い礼拝メッセージのために精進していきたいと思います。

    ハワイらしい天気が戻ってきましたね。庭のパッションフルーツの花が咲きました。見るとなるほど雄しべと雌しべが十字架に見えなくもありません。受難のフルーツです。その横では、朝顔も可憐な花を咲かせてくれます。朝顔の英語名はMorning gloryといいます。いい名前ですね。

    先の東日本大震災の一周年の時、日本でもその時刻にサイレンが一斉に鳴ったそうです。しかし、その音を聴いて亡くなったり、倒れてしまったり、自殺者が急増したそうです。まだまだ支援の必要は充分にあります。
    この週報に被災地への支援ツアーに関するチラシがインサートされています。まだ具体的には何も決まっていませんが、まずは「志」のある方が集まって、そこからどんなアイディアが導かれていくのか、そこからスタートしていきます。

    夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

    関牧師

    2012年3月15日

    3月18日2012年の週報に掲載

    先週は角田和子姉の証を通して、神の真実、計画の確かさを知りました。主は生きておられる。ハレルヤ! レントの日々が続いています。どうぞ「レント黙想のしおり」を用いてください。

    また
    http://www.omsholiness.org/ のJapanese Pageに入ると、オンラインでもご覧になれます。黙想とは静まることです。マザー・テレサの言葉を引用します。どうぞ黙想の参考にしてください。

    関牧師

    • 他人の過ちや、罪深いすべてのものに目を閉じ、神の美徳をさがす(目の沈黙)
    • ゴシップや告げ口、無慈悲な言葉等の声に耳をふさぎ、神の声や貧しい人の叫びに耳を傾ける(耳の沈黙)
    • 暗さや動揺、苦しみを引き起こすすべての言葉をつつしみ、私たちを啓発し、鼓舞し、平安や希望や喜びをもたらす神の真理の言葉、イエスの言葉を口にする(舌の沈黙)
    • うそや混乱、破壊的な考え、軽率な評価、他人への誤った疑い、復讐心、さまざまな欲望などに精神を閉ざし、祈りと黙想において神の真理と知識に精神を開く(精神の沈黙)
    • すべての自分本位の考え、憎しみ、うらみ、ねたみ、欲ばりを避け、私たちの心、魂、精神、力において神を愛し、神が愛するように人を愛する(心の沈黙)

    2012年3月10日

    3月11日2012年の週報に掲載

    ハワイは大雨
    先週の「そこが知りたい」~今さら聞けない、でも聞きたい~クラスは、とても多くの質問をいただいて本当に感謝でした。時間が過ぎてしまい答えられなかった質問も多く残っているので、第二弾を4月の第一週に持とうと考えています。

    「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という故事があります。また「信仰は聞くことからはじまる」と聖書は言います。まだまだ質問を受け付けますので、気になっている、あの事、その事を、どうぞ質問してください。匿名で構いません。

    先週は大雨と雷が凄かったです。夜のドライブ中、一瞬真昼間のように明るくなったと思うと、大地を引き裂くような爆裂音が響いて、私の人生の中で最も近く大きな雷でした。我が家の愛犬CHOCOも、怯えてしまって興奮していました。隣のストリームの周りにポリスの車が待機していて、洪水を警戒していたのでしょう。もし水が溢れたら、とりあえず買い換えたばかりの洗濯機と乾燥機を上に上げてとか色々と考えましたが、幸いに無事でした。

    やはり、これから教会でもハザード・マニュアルのような物が必要かなと思いました。災害があった時の安否の確認の仕方など、その方面に知識のある方、作成にご協力くださると感謝です。

    レントの黙想②が出ています。どうぞご利用ください。

    関真士牧師

    2012年3月2日

    3月4日2012年の週報に掲載

    堀内ふみ姉が天国へ召されました。まさに勝利の凱旋です。1939年11月26日に洗礼を受けられましたから、21歳から94歳で召されるまでの73年間の地上での信仰生活になります。

    まさにホノルル教会の歴史そのものです。私がハワイに来た2005年には、まだご夫妻で礼拝、祈祷会と出席していました。ふみさんは度々礼拝の後、その日の説教をまとめて、今日はここが良かったと言ってくださいました。そのポイントは自分が一番伝えたいことで、何度も励まされました。それがやがて出席が困難になってきました。さぞ落ち込んでいるだろうなと訪問すると、いつも「感謝、感謝」でした。週報と祈祷課題を読んで、いつも祈っていてくださいました。教会には「とりなしチーム」という祈りのグループがありますが、ふみさんは、最後までのチームのメンバーでした。

    聖霊に満たされるとは、このことだなと本当に分かりました。長男の方が、意識もなくその時を待つばかりのお母さんを見て、神がおられることが分かったと言われるのです。それはふみさんの内に住まわれる聖霊の臨在です。

    教会を祈り支えていてくださった方々が天に召されていくことは、寂しさ極まります。しかし、そこには希望があります。私たちも偉大な信仰の先輩方の後に続きましょう。地上の最後の一息まで、主と共に歩みましょう。

    「みよわたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 マタイ28:20

    関真士牧師

    2012年2月24日

    2月26日2012年の週報に掲載

    このところ礼拝メッセージの中で、10分くらいの証しをお願いしています。「大胆」をキーワードに、ハワイから半径5千マイルの祈りや、ハワイに学校を造るビジョン、日本のために宣教師として召されていること、今日の高齢者の方へのミニストリーを立ち上げた証しなどなど、これからも続きます。次週は、伝道への情熱を大胆に語っていただき、さらに、その次は角田和子姉の証しです。私も語りたい! という方は「大胆」に牧師にまでお知らせください。

    それぞれが、主から情熱が与えられ、ビジョンが与えられ、賜物を活かしていく姿は、教会が生きている徴です。その働きの種類も様々です。これもまた教会がキリストの体であることの徴です。まだまだ証し者はたくさんおられます。ホノルル教会は生きているキリストの教会です。

    私たちは数え切れない恵みを、天の父なる神からいただいています。その恵みを分かち合う時、つまり「与える」という生き方が始まる時、「あなた」に対する神の御心が成就します。充分に受けて、大胆に与えるのです。私に何が出来るか? ではなく、主は私に何をして欲しいのか? と祈っていきましょう。

    大胆さは、何も活動的なものに限りません。どなたか「大胆に休む」とか「大胆に眠る」「大胆に泣く」という証しがあったら大歓迎です。

    そして、レント(受難節)に入った今、何よりも「大胆に十字架に近づく」これが最大にして、最高の、もっとも大切な「大胆」さであろうと思います。
    関真士牧師

    2012年2月17日

    2月19日2012年の週報に掲載

    日本から佐藤彰先生をお招きして「東日本大震災支援集会」を開催しました。本当に身を削るようにして、苦難の体験を語ってくださいました。それでも氷山の一角であろうと思いますが、少しでも知ることが出来たことを感謝いたします。
    先生が「挟状格差」という事を言っておられました。ハサミの状態という意味です。復興が進み、復興景気がある地域と、ますます衰退し、復興のない地域との差がハサミのように広がっているのだそうです。
    そして、多くの人々が、「もっと苦しくなっている」という現状にあり、「震災はまだ何も終わっていない」という事を知ることが出来ました。私たちは、「忘れない、関心を持ち続ける」事の大切さを改めて思いました。
    22日(水)からレントが始まります。レントとは受難節です。主イエスが十字架にかかる日から逆算して40日前から始まるものです。この期間は特に主の十字架を想う時となります。
    今年のレントは、震災後はじめてのレントです。今のこの時の自分にとって、主の十字架とは何なのか? 「なお十字架は輝けり」(聖歌397番)のごとくに、今まで以上に、十字架の輝きを見せていただきたいと心から願います。
    例年のように、レントの黙想のしおりを配布しています。どうぞご利用くださって日々の黙想の助けとしてください。
    関真士牧師

    2012年2月10日

    2月12日2012年の週報に掲載

    日本から「原発に一番近い教会」の牧師である佐藤彰先生をお迎えしての礼拝です。一昨日、昨日と2回の集会をすでに持ちました。
    写真を見せていただきましたが、子供会の集合写真を見ながら、その2時間後に地震が起こったという事でした。普通の日常的な光景が次の瞬間、その町から7万人が一日で居なくなるという事態になりました。誰にも想像もつかない事です。
    この1年間、佐藤彰牧師は、全国、海外を駆け巡ってこの震災の話をしています。最近では一般のメディアにも取り上げられるようになりました。「伝える」という働きの大切さを思います。
    「伝える」ことは、知らせることです。震災に遭われた方への支援には、多くの必要と分野があります。しかし、まず最初の支援は、「知ること、関心を持ち続けること」です。
    最も悲しいのは、「忘れられる」ことです。日数が経つにつれ、潮を引くように、ボランティアの数も、ニュースも減ってきます。この時期は、自殺をされる方が急増する時でもあります。
    色々な方法で「忘れていない」というサインを送ることが求められます。そこから次の支援へとつながっていきます。仙台から中澤栄子さんが来られ、そして佐藤彰先生が来てくださり、私たちに「伝えて」くださったことを本当に感謝します。
    「神はわたしを知っている」(詩篇139:1)とあります。知ることは愛の一歩です。
    3月10日(土)夜。日本時間の地震の時間に合わせて集会を計画しています。

    関真士牧師

    2012年2月3日

    2月5日2012年の週報に掲載

    「原発に一番近い教会」である、福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師がハワイに来られます。明日6日から14日までの滞在です。
    連合としての集会は以下の通りです。

    「東日本大震災支援集会」
     10日(金)7PM カリヒ教会
     11日(土)10:30AM マキキ教会
     *2回とも同じ内容の集会です。

    「心に光を 支援者大会」
      12日(日)2PM オリベット教会

    是非、お集まりください。そして日本のために祈り、捧げましょう。また「心に光」ラジオ放送のために、協力していきましょう。
    佐藤彰師は、あの3.11以来、教会へは近づくこと出来なくなりました。もちろん放射能のためです。教会の建物も、教会員の名簿も、すべてのデータがなくなり、教会員は散り散りバラバラになり、避難所を転々とする流浪の旅に出たのでした。これで教会は無くなったと思ったそうです。しかし…、しかしなのです。これから先はどうぞ集会にてお聴きください。

    私は昨年の7月にLAで佐藤師の話を聞かせていただき、この神の栄光は、どうしてもハワイの方々と分かち合いたいという感動に包まれたのでした。どうぞ、万難を排してお集まりください。

    関真士牧師

    2012年2月1日

    1月29日2012年の週報に掲載

    LAのパサデナの山の方にある、カトリックのリトリート施設を借りて牧師リトリートが持たれました。マウンテン・ライオンが出るので注意というこですが、出会ってしまったら逃げないで、上から睨みつけて、こちらの方が強いということを分からせるということでした。自分が相手の食べ物であるという状況は、私にとっての未体験ゾーンですが、何とか出会わずに済みました。

    今回のリトリートのテーマは、「臨在=Presence」でした。苦難の時も、どんな時も、「臨在」こそが真の解決の秘訣であります。礼拝、賛美、祈り、奉仕、すべて臨在があってこそです。

    臨在とは、「主がここにおられる」ということですが、ポイントは、いかに自分が、神の臨在に気づくことが出来るかということです。神の臨在はあるのです。自分の感覚や信仰によって、あったり、なかったりするような、非人格的な、ただの雰囲気ではないのです。それは事実なのです。

    神の臨在に気づくために必要なのは、まず本当の自分を取り戻すことです。特に自分の弱さにおいて、自分が疲れていること、痛んでいることに気づくことです。そして、その自分の姿で、主イエスの招きに応えることです。主イエスは常に招いておられるのです。

    「主イエスのみもとに休み場あり、憂いも、悩みも、消え去るべし」

    聖歌475番の歌詞が浮かびます。主イエスのもとに臨在があり、その臨在の中で、すべてが真の解決を得ていくのです。
    今日も、臨在の賛美と祈り、臨在の礼拝を捧げましょう。

    関牧師

    2012年1月20日

    1月22日2012年の週報に掲載


    例えば、目の前にフライドポテトがあります。これは間接的世界での出来事です。つまり、もとはジャガイモがあって、それが育てられ、収穫され、配送され、加工され、販売され、そしてフライドポテトとして目の前に置かれたわけです。

    直接的世界とは、フライドポテトの元であるジャガイモに触れることです。あるいは種まきから関わることです。

    この世の中にあるもの、日々私たちが見て、触れるものは、ほとんどが間接的世界です。その中に生きていると、フライドポテトがジャガイモから出来ていることを知らない子供が出現します。 

    自分は、フライドポテトなのか、じゃがいもなのか? つまり、今社会の中で加工されている自分と、もともとの本来の自分との違いがわからなくなってしまうのです。全てが仮想で、代用で、本物が何なのかが分からなくなってしまいます。

    私たちの信仰生活も同じです。直接に天の父との関係を持つのです。メッセージを通して、学びを通して、人を通して、天の父を知ることもある程度は出来ますが、やはり直接です。直接一人一人が天の父との人格的関係を結ぶ、それこそが福音の真髄です。

    直接的な、天の父との関係。それこそ祈りの世界です。祈りの中には、他の何者も、何物も立ち入ることは出来ません。

    本物が見失われる時代にあって、私たちは物事に直接的に、そして天の父と直接的な関係を持っていきたいものです。

    関牧師

    2012年1月12日

    1月15日2012年の週報に掲載

    ジョン・ウェスレーは、教会の祈り会のことを「発電所 パワールーム」と呼びました。

    ビルの中には発電施設が必ずあります。だいたい地下などの目立たない所にあるものです。
    利用者は普段は気に留めず、当たり前のように電気の使用していますが、実は見えない所から電気というエネルギーが送られてきているのです。

    教会のパワールームは祈り会です。私たちの教会が、今も在り続けているのは、パワールームの存在抜きには考えられません。水曜日の祈祷会、礼拝前の準備祈祷会、金曜日の徹夜祈祷会、祈りのチームによる、絶えざるとりなしの祈り。また高齢のために礼拝に集えなくなってはいますが、家で毎日教会のために、一人一人のために祈っていてくださる方々。


    皆さんの目につく所で、あるいは目に見えない所で、実に多くの祈りが積まれているのです。この祈りがあってこそ、教会は存続し、活動し続けることが出来ます。

    是非、このパワールームにおいでください。まさに縁の下の力持ちとなってください。

    また加藤兄、松永兄によりダウンタウンのセンチュリービルで「タワーの祈り会」が持たれています。これはハワイ全体から始まって祈りが拡がっていく、とりなしの祈り会です。この祈り会の体験ツアーも開催しますので、是非ご参加ください。

    今、ホノルル教会で、祈りのムーブメントが静かに、しかし確実に進行しています。                  関牧師

    2012年1月9日

    1月8日2012年の週報に掲載

    それにしてもペテロとヨハネの目の前で、40年間歩けなかった男が歩き出したという、この奇跡を目の当たりにして、祈った本人たちの驚きと感動はどれほどのものであっでしょうか?
     
    もちろん肉体的に癒されたのもそうですが、この男は踊り出して神を賛美し始めたのです。それは、心が変えられ、生き方が変えられ、喜びと希望の人生に変えられたのです。

    イエス・キリストの御名には力があります。この奇跡を目の前にした以上、心が燃えないはずはありません。

    私もペテロとヨハネの「神のことばを大胆に語らせてください」と祈った、その情熱に共感できます。これまで私の目の前で、どれだけの人たちが、イエス様に触れられ、変えられていったことでしょうか! まずは自分自身を始めとして、実に多くの人々が、死から命へ、絶望から希望へ、恐れから愛へ、涙が溢れ、喜びが溢れ、笑顔になっていく、その神の御業を目の当たりにして、心が燃やされます。

    世の中は、ますます混沌とし、苦しみと痛みが増してきます。私たちは、この世にあって、その状況にただ呆然と立ち尽くし、なす術もなく絶望する者ではありません。

    私たちには「神のことば」が託されています。私たちにはイエス・キリストの御名が託されています。私たちは、伝えるべきメッセージを持っているのです。

    今年は、私にとって牧会の現場に入って20年目の節目の年です。山あり谷ありで色々ありましたが、福音の力への感動と情熱だけはさらに増し加わっているというのが実感です。
    関牧師